アイドルに幸あれ!

飯田圭織の結婚。
アイドルは、アイドルであることが幸せであるような存在のことを言うのである。
だから、アイドルは結婚しない。結婚するのは、ただの人間である。
飯田の結婚には祝福ムードが漂う。飯田はアイドルではなくて、人間である、ということだ。
こういうのが、理想的なあり方ではないか、と思ってしまう。
アイドルであることをある程度の年齢で卒業し、熱狂的なヲタが離れて、ほとぼりが冷めたところで結婚。ハッピーエンド、というわけだ。前にも書いたが、僕らが嫌ってアイドルを見捨てるんじゃなくて、アイドルがヲタに嫌わせて(ヲタの心を離れさせて)アイドルを脱する、ということ。例えば、矢口の「結婚宣言」だって、基本的にはもう「ファン」「ヲタ」を必要としていないということである。
となると、我々ヲタは、好きなアイドルと「いい別れ方」がなかなかできない、ということでもある。アイドルがアイドルであるまま、我々がアイドルと別れるということがありうるのか?ある意味ではペットとの別れ方みたいなもんだな。基本的に悲しい別れ方しかありえない。惜しまれたまま、どこか行方知れずになるのがいいのか、それとも、嫌われて人間になるのがいいのか。
ところで、このように栄枯盛衰を繰り返す歴史性を持つとまで言ってしまってもいいアイドル世界を俯瞰した視点に一旦立ってしまうと、我々は「アイドル性」なる一般的な性質を愛してしまい、アイドルを固有名詞として愛せないのではないか、という危惧も持ちたくなる。僕は矢口真里を愛していた、でも今は多分愛していない(好きだけど)。アイドルがアイドルであるときのみ愛し、彼女たちがそれをもう望まないとき、我々もあえて彼女たちに別れを告げる。それがアイドルの愛し方だ。…って、お行儀がよすぎます。僕は矢口を愛していて、それは「アイドル」を愛していたんじゃない。だけど、僕はアイドル世界にいる矢口しか愛せない。はじめから不可能なものを欲望しているのならば、それ相応のリスクは背負わなきゃダメか?