嗣永プロデュース

宇多丸さんが前にラジオで、「白アイドル」として中川翔子を挙げていた。「幻想が成り立ち辛いネット時代に生身の見せ方をコントロールしている」。
さて、嗣永桃子のことである。彼女の自らをプロデュースしていく能力、見せていく能力の卓越さ。道重が嗣永を目の前にしてめっきをはがしていってしまうのに対し、嗣永の磐石さ。しかもその磐石さが裏もないほどに自然に見えすぎるがゆえに、軽々とした風のようである。つまり道重が一生懸命キャラを作りこんでいるように見えるのに対し、嗣永はそのプロデュース能力ゆえに、その努力すら感じさせない。その意味でプロであると。

さて、私は卒論でも記したが、ハロヲタは大きな枠組でとらえれば、ASAYANや初期うたばんの影響を強く受けた「物語」への志向から、ゆるやかにキャラ、表層に対する「萌え」志向へのベクトルが起こったと言えると思う。それは単純化すれば「ネタ」から「ベタ」への移行だったわけで、僕は一時期それを「バカ」だと思ったり、倫理観を失わせると危惧したりもした。ところが、今嗣永を見よ。かつてアイドルをプロデュースする立場(例えばつんく)に自分を重ね合わせ、アイドルという物語を楽しんだヲタは、今、自ら「萌え」をプロデュースする嗣永に同一化し、萌え世界を堪能している。これが「萌え」でありながらただ耽溺するということにならない理由だ。「萌え」という楽園に安住する一方で、それをプロデュースする「プロ」の仕事への敬意も存在する。このバランス。
アイドルに関する「萌え」と、アイドルの権威。これは両立不可だと思っていた。嗣永がそれを突き破ったよ。改めて去年のゲキハロの嗣永のインタビューを書いてみよう。
『私が演じる「ふう」は、とってもマイペースで自由気ままに生きてるって感じの子なので、見てホワ〜ンってなってもらいたいです(笑)』
やっぱり、よく分かってる。