「相対→絶対」のアイドルシステム

新人公演はこれからエッグを売り出そうとする事務所側からすればかなり重要な宣伝・広告の場である。したがって儲ける儲けないを度外視してでも集客には成功しなければならない。例えば今回チケットの定価が3000円に抑えられていることにもそうした意図は見えるし、ネット上やら当日の公演やらで様々にそうした意図が表れていた気がする。
まずはネット上の動きだが、セットリストをはじめからばらした、というのは優れた戦略だと思う。僕自身もこのセットリストを見なければ公演に行かなかっただろう。意図的にノリのいい楽しめるセットリストを組んで、それ目的で来させる。また、新人扱いなのか微妙な光井や有原目的で来させる。「まずは来てくれ」という意図がはっきり表れている。
そして、前もってプロフィールを公開し、AKB48と同様の手法としてリハーサル日記という形で新人のメンバーに対する予備知識や愛着を持たせておく。
当日のパンフレットは完全にカタログだ。メニューだ。36人の写真と、プロフィールとQ&Aがひたすら並んでいる。「品定めしてください」ということだ。「えーっと、これがいいかな」って思ったら、早速2L写真を買ってくださいよと。なにげなく「これ」って書いちゃったけど、はじめはほんと「物扱い」だと思うんだなあ。
公演中には何度もニックネームを言う。質問されるごとにメンバーは「〜です!」と自分のニックネームを言ってから答える。ヲタもニックネームを叫ばされる。まあ、何人かのニックネームは明らかに覚えさせられて帰る寸法だ。
こうした、今から人気を獲得していかなければならないアイドルは、「相対化→絶対化」への過程にある。同じようなどこの馬の骨かも分からないアイドル予備軍が横並びになっている状況、相対化され、いくらでも代替可能なアイドル予備軍のひとりという状況から抜け出して、絶対化され、代替不可能性を獲得し、確固たる権威をまとうトップアイドルになることを目指している。
ヲタはヲタで、セットリストのよさで来る客、すでにメジャーなメンバー目的で来た客、そして完全に「品定め」で来た客など様々だろう。そんな、まだ相対的な視点で見ているヲタをどう取り込むか。この公演で少しでも覚えさせ、また次のハロ紺だなんだで印象を強め、はじめはネタっぽく応援してもらい(昔のキッズみたいにね)、それがだんだんマジになって絶対化する。それはもしかしたら数年かかったりするかもしれない長丁場の勝負だ。
そんなこんなで、現場は予想外に熱かった。ヲタはヲタですでにエッグを推している連中の気合はすさまじいし、新人たちの覚えてほしいという気持ちも伝わった。プロ野球を見た後で高校野球を見るときの気分に似ている。後がない状況での必死さとあどけなさ。
こうしてアイドルは再生産され、複製されるのだという身も蓋もない事実を突きつけられることは一方で辛いことでもあるが、それはもう一方では人間の可能性の発見でもある。有原栞菜が昨年の夏ハロの辻のような衣装を着ていたとしても、有原が悪いわけではないのだ。地球は容赦なく回っていく。だけど回らなきゃ新しい季節もやってこない。