今年→来年

『今日無理やりに中野参戦できた事実が、今年の運勢を決めた、と信じたい。』
と、今年初頭の日記に書いた。
今年の参戦数、34。
昨年の参戦が20程度だったことを考えれば、頑張ったな、俺。
さっきコンビニでのおつりが222円だったことが、来年の運勢を決めた、と信じたい。
来年も、現場ありきで。無理してでも行け、俺。


今年現場に行って、ひとつ思うこと。体験というものの説得力。体験というものがあれば、言うことはないということ。恋愛体験を豊富にしている人間は、別に国語能力が低くたって構わないのだ。逆にもてない人間がうまい恋愛小説を書けたりすることもあるんだろう。
だから、最近の邦楽の歌詞がありきたりで貧相でもそれは仕方ないんだろう。けど、僕は語るのだ。
さて、今年の目標として、2点挙げていた。以下がそれである。
1.辻が、実在するのかしないのか結論を出すこと。
2.「マジヲタ」→「DD化」の流れがもう一度→「マジヲタ」に回帰しているように思われるが、これを現場で体感しながら分析していくこと。

1.について。
こういう結論になることは大体分かってはいたんだけれども、アイドルに関して言うならば、アイドルは「人間」でも「虚構」でもない。「生け贄」でも「神」でもない。あるいは、どちらでもある。そして辻について言うならば、どちらかと言えば「虚構」であり、実在しない、という言い方のほうが正しそうだ、ということである。もちろんこれはヲタの立ち位置によって決まってくるものであるが、僕は辻のことを「辻」とも「辻ちゃん」とも呼ばずに、「のんちゃん」あたりが一番しっくりくるのであるから、やはり辻は実在しない、と言うべきであろう。


2.について
これに関しては、認識の転換があったわけで。
図中にあるように、「DD化」「マジヲタ回帰」という言葉の使い方は正しくない。
視線①から③への流れというのは2002年あたりから始まっていて、今年もまた虚構アイドル化ということで辻・久住・道重らを中心とした動きが見られた。一方で、「リボンの騎士」、松浦亜弥を中心とした「アイドル=人間」という流れ。その間を惑う存在としてのヲタ、そしてアイドル、っていう僕らの世界に、来年も注視していきたいと思う。


来年の課題
やはりヲタ道徳の問題が気になる。目下気になるのは、③の、「虚構的ベタ視線」で倫理を確保していくことができるのかどうか。ヲタ視線について考察を進めながら、現場で体験も積み重ねながら、社会学系の本もちゃんと読みながら、来年もしっかりヲタでありたい。