非常に不謹慎な話をします。

日曜に松浦紺に行ってきます。
問題は、なぜ行くかです。
正直言って、歌手の松浦亜弥は見飽きたのです。
行ってつまらないということはないにせよ、「ね〜え?」を踊らない松浦は嫌なのです。
なんらか、アイドルでいてほしい、そんなアイドルヲタの目線がそこにはあります。
で、今度の松浦紺ですが。
顎関節症で相模大野紺が中止になり、一応復帰公演ということになります。見るのは夜公演なので厳密には復帰公演ではないですが。
公演を中止するほどだったのに、2週間後の公演は予定通りやると。ヲタの視線ってのは、どうしても不安・心配ってことになります。松浦を推し圏内に置いていない僕とて、そんな風に不安のまなざしで見ることにはなるでしょう。
皮肉にも、そうした状況によって、日曜には松浦がアイドルたりえるんじゃないかっていういじわるな見方を今しているのです。スターが超越性を失ったところにアイドルがある。僕からすれば、松浦はスターになってしまっている。その超越性が顎関節症によって剥がれる。松浦とて人間だ、というわけです。
大丈夫か、と適度な心配をしながら、久々に松浦紺でドキドキできそうだ、って思っている。そんな、2階席からの上から下目線で見てきます。
それもこれも、僕が松浦を好きでありながら推すまでいかない、という、要は「どうでもよさ」からきています。僕が松浦を推してたら、即刻秋紺を全部中止すべきだと言うでしょう。それにしても事務所は一体どう考えてるのか。

アイドルは超越性が失われた存在だが、超越性が失われきったらアイドルは死ぬ。そのバランスなんだな。どっちつかずの中間地点だから、アイドルは危うい。その存在の危うさこそを愛でたい。で、多分こう言いたい。その存在の危うさってのは人間存在の危うさの比喩なんだと。

そんな御託を並べても仕方があるまい。現場100回です。なんらかの啓示がそこで得られるかもしれない。公演後、できれば、松浦亜弥を今よりもっと好きになっていたい。