神戸日帰り

参戦としては、はじめての兵庫。
参戦した都道府県数が増えていくのはうれしいことだ。
2001 東京 静岡 山梨 石川 神奈川 群馬 福岡
2002 宮城 埼玉 愛知
2003 千葉 長野 大阪 福井
2006 富山 奈良 兵庫
で、17都府県か。 まだまだ少ないな。

さて、今日はまず大阪の某グッズ屋に初めて行った。
写真の量が半端でない。写真をチェックするだけで1時間いてしまった。
のの写真をいろいろと買う。
大阪の日本橋って、初めて行ったけれども、秋葉原みたいな雰囲気ですね。
電気とヲタの街という雰囲気。

で、三ノ宮へ向かう。心斎橋のハロショに行く暇はなし。
僕の勝手な思い込みかもしれないが、大阪へ行くと、他の地域よりヲタの格好が派手だと思う。
今日は兵庫だけど、大阪の雰囲気あるなあ。
当たり前のことだが、関西の人は関西弁を話す。「あかん」「〜やんか」みたいな話し方を聞くと、ネタのように聞こえてしまう。自分はゆるいしゃべり方をするときに下手な関西弁のようになるくせがあるのだが、普段聞く関西弁はつんくの作る楽曲くらい、というような、ネタとしての消費しかしていない中で、日常としてベタに関西弁が話されているのを聞くと、なんだか不思議な感覚になる。

神戸国際会館は、3階席まであって上下に長い。2階席からの眺めはとてもよかった。
遠くから見る場合、誰かを目で追うよりも、娘。のフォーメーションの美しさを俯瞰したほうがよい。
僕は歌詞からファンになりヲタになった身なので、踊りに関してまじめに考えたことがほとんどない。ただ美しいと思って見るだけだ。明確な振りというものがなくても常にその身体の動きをどう見られるか意識して振舞わなければならないアイドルってのは大変だ。それは、振りをまねしてみれば分かる。むしろはっきりした振りがないときの動きに困る。
そんな感じで、下手なりに出来る振り付けを一生懸命にやってみた、他人から気持ち悪く思われる程度には。そのくらいはしなきゃいけない。わざわざ昼だけのために神戸に行くってのはそういうことなんだ。隣がいなかったせいで、スペースをうまく使えた。近くでヲタ芸をしている奴もいたけど、僕はしなかった。していいものかどうか、現場の雰囲気をいまいちつかみかねているのだ。ほんとはロマンスをしたいんだけれども、やっていい?どうなの?って遠慮がちにするもんではない。近くのうるさいヲタが怒られているのを目にした後では、そういうヲタ道徳なるものにどうしても敏感になってしまうのです。ただ、どうなのかなあ、ヲタ芸がメディアに晒されて以降、どうもヲタ芸憎し、ってのが少し過剰反応な気はするんだ。もちろん、ヲタ芸を大嫌いな人の気持ちは理解できるんだけど。
今日のメリピンは素直に愛せた。初めて見るヲタに、どうですか、って暖かく紹介したいような気分だった。ってことは、もうメリピンに慣れてきたってことだろうか?彼女達2人は、ほんとうにいい仕事をしていると思う。「なりきる」っていうの。アイドルという時点で、なりきってないといけないんだが、それがさらにメタ的な感じでなりきる。アイドルがアイドルを演じるという、なんだろうな、そういうアイドルという立ち位置の相対化っていう点で面白いんだって言いたいんだけど、でも、やっぱり「萌え」ちゃってるな、自分。
横にスペースがあると足の運動量が多くなる。横のステップを踏んじゃったりする。上下に飛んで、横にステップ。疲れる。仕事の疲れと、ヲタ活動での疲れ。なんで同じ疲れでこんなにも質が違うのだろうと、当たり前のことを思ってみる。ただ最近、ライブ中に仕事のことを思い出すことがストレスにならない。去年だったら考えられないことだ。「リボンの騎士」でもそうだけど、虚構→現実の矢印を描けることってのがある種の「マジヲタ」だと思うのだが、そういう点で僕はけっこう健全なかたちでマジヲタなんじゃないかなあと思った。でもこんな風に「健全」なんて言葉を使っても何かを言ったことにはならない、たぶん。
帰り、はじめて「のぞみ」ではなく、「ひかり」で帰る。まったく鉄道に詳しくない僕は、停車駅の数に違いがあって、所要時間に差があるなんてことを知らなかった。
「こだま」「ひかり」よりも、「のぞみ」のほうが速い。
音速を超え、光速を超える存在、辻。
光速を超えちゃったらもう、現実世界を超えている存在であると、ここ異論はありませんね。
よって辻は超越的存在=神であると言えます。
なんて思いながら、帰宅。