なぜヲタはヲタTを着るのか

「なぜヲタはヲタTを着るのか」という問題について考えたい。
ここで「ヲタT」という語で指示したいのは、ハロプロ系のコンサートグッズとして売られる、アイドルグループの各メンバーごとに色分けされたTシャツのことである。ヲタの多くはこのTシャツを買い、コンサート中にそれを着用してアイドルを応援する。一体なぜ、ヲタはヲタTを着るのか。*1
この問いは二つの面から問われることになるだろう。一つは、「なぜ男性ヲタの多くは、アイドル(好きな人)に会う*2のにおしゃれをせずにヲタTなんか着るのか」という問題、またもう一つは、「ヲタがアイドルにもしただ一人の存在として認識されたい・愛されたいと思うならば、他と差別化された独自の格好をするべきなのに、なぜ多くのヲタは他のヲタと揃った同じTシャツで応援をしてしまうのだろうか」という、いずれも「見られ方」に関する問題である。
まずは前者、「なぜヲタはおしゃれをせずにヲタTを着るのか」。もちろん、そもそもおしゃれの感覚がないのだ、という意見は一部分としては合っているように思う。一般的なステレオタイプとしてのオタク像――シャツをズボンの中に入れて…等々――はともかくとしても、ヲタ界隈でのおしゃれ指数みたいなものが測定できたとしたら、それは平均値を下回ることは間違いないと思われる(僕は明らかに下の方だ)。しかし、ここで問題にしたいのは、基本的にヲタTを着るのは現場付近であって、ヲタがコンサートのためにヲタTを着るという、そのことに関してである*3。これは、もっと根本的な、ヲタが対アイドル関係をどう構築しようとしているのか、という問題に関わっているように思う。
ここで思い出すのは、過去に「最強」と言われるヲタ(要はアイドルと個人的に知り合いになっちゃうようなヲタ)を何人か見たことがあるけれども、彼らはコンサート会場でもオシャレ(というかまあ、普通の格好)だということである。アイドルに嫌われないようなヲタはそうなのだ、という意見はもっともだが、ここでアイドルへの2通りのアプローチのしかたを考えることも出来る。一つは、アイドルを、自分がいる現実の世界に位置づけようとすることによって関係する方法。これはごく少数の最強ヲタにしかできない(要は一流のナンパ師と同様のコミュニケーションスキルが必要なのだと思う)。現実的に知り合い・恋人・取り巻きになれる可能性があるため、ヲタであればそうした最強ヲタを夢想することは一度くらいはあるかもしれない。*4
一方もう一つの方法は、アイドルという虚構の世界に、自分が浸かること、自分を虚構化することで近づいていこうとする方法である。ヲタTとは、まさに自分を虚構化するツールではないか。アイドルが現実味のない衣装に身をまといステージ上で舞い踊る時、そのアイドルとコミュニケーション可能な地平に自らを引き上げるためには、自らもまたそうした日常ならざる衣装をまとう他ない、というわけである。それは大仰に言えば、神と交信するためにある種の手続きを踏まねばならないのと同様、儀礼的な振る舞いではないかと思う。(ヲタTが基本的に派手で、さらに格好良くないものであるのは、あえてそれを着ることによってアイドルとヲタの共犯関係を強めるという効果があるだろう)
現実的にアプローチするがゆえの最強ヲタの限界、そして、虚構的にアプローチするがゆえのヲタの可能性。極めて高いコミュニケーション能力を求められる前者の方法を取れるヲタはごく少数、多くは後者だ。そしてアイドル産業は、もちろん後者をターゲットとする。
ぼくは、そしておそらく多くのヲタは、ヲタTを着ることを習慣化している。それは、ツアーごとにグッズとして売られるという点で、アイドル側からの要請でもあり、またそれをまとうことで、好きなメンバーから自分のファンであることを知ってもらえるという点でヲタの側としても理にかなったことだ。しかし、そういった利害を超えて、ヲタTは、ヲタを虚構化したキャラクターへと転ずる役割を持っているように思う。我々はヲタTを着ることで、アイドルと共に虚構世界の中で戯れようとする。その中では、アイドルを妹にすることも、恋人にすることも、嫁にすることもできる。(そうやって虚構的に欲望することと、「萌え」という語は近い位置にあるのではないかと思っている。)ただしこうした虚構的な欲望は、虚構的であるがゆえに、はじめから不可能であることを観念した上で起こる。そういう意味で、ヲタTは、「アイドルをそのステージの外で欲望することはしない」という言明ですらあるのではないか、と問いたくなる。限られた場でのみアイドルと交流する、そのことによってアイドルを守る、そうした線引きの儀式としてヲタTを捉えてみても面白いのではないか。



さて、後者「なぜ多くのヲタは他のヲタと揃った同じTシャツで応援をしてしまうのだろうか」という問いである。すでにここまででその答えは部分的に出ているように思える。それは、公式グッズとして定められているTシャツを着ることが、儀礼的に正しい、ということだ。神の側から指定された衣装に身をまとうことで神とコミュニケーションが取れる、それが「正しい」のだ。もちろんこんな風に考えるヲタはいない。けれども、公式グッズだから買う、着るというルーティンになっている時点で、それはアイドル側の要請に儀礼的に従うということが内面化して、ほとんど自覚すらできない状態になっているということだ。かく言うぼくも、なぜヲタTを着るのかということを深く考えもせず、着てしまう。
しかし、疑問は残る。会場には、オリジナルのTシャツなり、着ぐるみなりで自らをアピールするヲタもいる。それに比べても、ヲタTの比率の高さはなぜだろうか。もちろん自分でTシャツを作る手間はあろう、公式Tシャツの方がぱっと見でアイドルから認識できやすいということもあろう。けれども、自分を認識してほしいなら、自分独自の格好をするべきではないのか。
ここにおいて、「何・誰」として見られたいかという問題がある。おそらく、多くのヲタは自分を見てほしいけれども、自分を固有名詞的に認識されたいとまで思わないのではないか。僕の話をするしかないが、僕の場合、コンサート中なっきぃに見てもらえたり、レス(らしきもの)をもらえることはうれしい、けれども、「ああ、斧屋さんだ」と思われたいかどうかは微妙である。顔を覚えてもらえたらうれしいかもしれないが、自分に関する個人情報を知ってほしいとは思わない。ともかく知ってほしいのは、なっきぃ推しで、応援しているという、その一点だけだ。そしてそのためには、ヲタTで十分なのだ。
やはり、宗教的なものを感じる。ある神を信仰する者たちの集団。そこでは神を信じさえすれば、どういった人間であるかは問われない(ヲタ同士でも、誰推しというのがコミュニケーションツールになるのであって、それ以上個人を特定するような情報はむしろ不要である)。信じさえすれば、平等に神の愛を享受することができる、というわけだ。これはアイドル側、コンサート運営側も承知していて、℃-ute紺ではここ最近、明確にメッセージボード・スケッチブックの使用を禁止している。アイドルとヲタを1対1の関係性にしないためだ*5。アイドルはある特定のヲタとはっきりとコミュニケーションを取ることは基本的にしない*6。ただ、皆に笑顔を振り撒くことによって平等に愛を与えるだけだ。
ヲタTはそうした宗教的構造を成り立たせるための重要なツールであると思われる。自分を「誰推し」というレベルまで抽象化して個別性を剥奪することによって、たとえ現実生活での自分がどうであっても、平等にアイドルから愛を享受することができる。だから、同じ推し同士が反目する理由はないのだ。



以上は、随分と限定的な、理想状態の話をしすぎているように思える。実際には、アイドルの世界はまったくもって不平等だったりもする。けれども、ヲタTという「文化」は対アイドル関係を考える上で興味深い現象ではある。…なんであれをみんな恥ずかしげもなく着るんだろう(うちにももう十着くらいはあるのだけれども)。



検討課題
1.ジャニーズヲタ(また他のアイドルヲタ)の「見られる」意識との比較
ジャニーズヲタは、僕の認識では、ハロプロ界隈のヲタTと対照的に、「まともに」見られる意識でライブに行くのではないかと思う。そこのところの意識の違いはどうなのだろうか。今の印象だと、ジャニーズヲタがどうというより、ハロプロ界隈のヲタTという現象が異常であるという感覚はあるのだが。また他のアイドル現場のヲタはどうか。
2.今までのアイドル現場について、ファンの格好はどうだったのか(どのような変遷をたどってきたのか)。
これはいぬいぬさんにお願いしたいところ。すでに関連エントリがあれば紹介してほしいものです。


参考リンク:http://d.hatena.ne.jp/musumelounge/20090509

*1:当然、ヲタTを着ないという選択をするヲタも大量にいるのだが。

*2:「会う」、という言葉遣いをした時点で、ごっこ遊びは始まってるんだろーな…

*3:ここでは電車の中までもヲタTで乗り込むヲタは少数とみなして扱わないことにする。

*4:しかし、そうしてアイドルと個人的な関係となった時、そのアイドルが「アイドル」と呼べるものであるかどうかという問題はある。そこにおいて、自分がコミットできたそれはもはや、「ただの人間」なのではないか。これはとても重要な問題だと思った。そうしたヲタを見て常に思ってきたのは、彼らの最終目的はいったい何なのだろうという疑問だ。

*5:ボードの使用に関しては、例えば愛理生誕祭の時に、アンコール中には誕生日を祝うメッセージを掲げることは許す等、ヲタ内部のコミュニケーションのための使用はむしろ運営側も積極的に採用している。

*6:あくまで建前として、だが。