アイドルの領域 その2
こんにちは、アイドル評論家の己哉(おのや)です。
1月ぶりのレポになります。今回は、こんなアイドルを紹介します。もしかしたら、自分の妄想が混じっているかもしれません。すみません。
Emo
池袋駅からほど近いとある小さなライブハウスで行われた、「Emo」のワンマンライブに行ってきた。Emo(えも)は4人組のアイドルグループで、100人規模のファンがついている、いま勢いのあるアイドルだ。
チケットを購入し、会場に入る。ん、なんだか騒がしい。開演まで15分という時間だが、それにしては何か緊迫感があるような気がする。会場には80名ほどの観客が入っているが、そこここから大きな声が聞こえる。もめごとだろうか。
近くにいた赤いTシャツを着た男が、仲間と思われる近くの男たちに強い口調で叫んでいる。
「だから今日は久々のワンマンなんだから、気合入れて応援しようぜって言ってんだよ!」
青いTシャツを着た男がそれに対して、
「…でも、やっぱり客入りよくないよなー…」と答える。
黄色のTシャツを着た男が、
「そんなん気にしないで、楽しんだもん勝ちっしょー!」と暢気に話す。
ピンク色のTシャツを着た男が、
「デビュー時に比べたら、これだけ入れば感動ものだよ?」とニコニコしている。
…なんか、変だ。
会場の至るところで、大きな声がする。ピンク・赤・青・黄のTシャツを着たファン達がこれでもかとしゃべっている。
自分はたまたまその日は緑色のシャツを着ていたのだが、赤のTシャツを着たあるファンにいきなり、「お前何だよ!」とすごまれてびっくりした。しかしその直後、赤シャツは何事もなかったように他の男たちとの会話に興じ始めた。
開演時間となった。
ピンク・赤・青・黄の衣装を身にまとった4人の少女がステージに登場する。一曲めはEmoのデビュー曲「Emo」だ。サビはこんな感じだ(カッコ内はファンのコール)。
うっれしいっとっきっもっ(えっつー!)
ぷんぷんのとっきっもっ(おこおこ!)
かっなしいっとっきっもっ(しおりー!)
たのしいーときもー(えみみー!)
いつもみんな一緒だーよー、Emo!
「はい、改めまして、みなさん、こーんばーんはー!」(こんばーんはー!)
「栄光の(E)未来を(M)俺の手に!(O) Emoです!ははっ」と黄色のメンバーが言うと、
「ウソつけー!」と客席から揃って声が上がる。
「はい!いつもの冗談はおいといて、改めまして、エモーショナルアイドル、Emoです!」
フゥー、ヒューという歓声が上がる。
「それでは自己紹介しまーす、メンバーエモーションは『喜び』、すべての出会いに感謝の心で、歌とダンスを届けます。Emoのリーダー、えっつーこと喜多悦美(きたえつみ)です、よろしくお願いしまーす!」
「メンバーエモーションは『怒り』、今日も怒りの炎を燃やしていくから焼き殺されたい奴はかかってこーい!Emoの火炎放射器、おこおここと鬼怒川尚子(きぬがわなおこ)です、よろしくっ!」
「メンバーエモーションは『哀しみ』、誰か私を哀しみの海の底から救ってください!Emoのお涙頂戴担当、しおりこと哀田(あいだ)しおりです、よろしくおねがいいたします…」
「メンバーエモーションは『楽しみ』、いつも楽しく笑顔で、みなさんに幸せを届けます!Emoの太陽娘、えみみこと神楽(かぐら)えみです、よろしくお願いしますっ!」
自己紹介を聞く限り、メンバーカラーは、赤は炎、青は海、黄は太陽を意味しているようだ。喜多さんのピンクはよく分からない。
その後、オリジナル曲が3曲続いた。よく見ると、曲中に鬼怒川はしかめ面をしたり、冷たい表情をしたりと、常に「怒り」モードの顔つきをしている。一方、哀田は常にかなしそうで、うつむき加減である。徹底している。それに比べると喜多と神楽は笑顔を振りまく普通のアイドルといった感じだ。しかしむしろここで気づくのは、常に笑顔でいるというアイドルの大変さである。常に怒り顔や悲しい顔であることが大変であるなら、それに準ずるくらい笑顔で居続けることも大変なのではないか、ということに改めて気づかされる。
そんなことを考えていたら、MCで神楽がしゃべり始めた。
「はい、ではここでいつものシャッフルエモーションのコーナーに入ります!今日はどんな表情が見られるか、楽しみですねっ!」
ステージには小さな箱が用意され、箱からは割り箸が4本出ている。メンバーが順番にくじを引くと、喜多が「怒り」、鬼怒川が「楽しみ」、哀田が「哀しみ」、神楽が「喜び」となった。
「なんであたし哀しいまんまなんですかー!!」と哀田が涙声で訴える。シャッフルできてなくてもそのままやってしまうようだ。神楽が「楽しみ」から「喜び」になったが、何か変わるのだろうか。
一番手、神楽が「喜び」となり、喜多の持ち歌「うれC大感謝祭」を歌う。さっきまでの笑顔と、何か違うのかよく分からない。
続いて哀田が、自分の持ち歌「哀しみ海の底」を歌う。哀しそうである。
鬼怒川が、神楽の持ち歌「あなたのシーサイドライン」を歌う。会場が一気に熱狂の渦となる。一瞬前までしかめ面だった少女が満面の笑みになるだけで、こんなにもカタルシスがあるものなのかと驚く。かく言う自分も、さっきまでの表情とのギャップから、鬼怒川さんがかわいく魅力的に見えてくるから不思議だ。
最後に喜多が、鬼怒川の持ち歌「怒りの火炎放射器」を歌う。これまた普段とのギャップに、会場が狂乱の渦となる。この曲はサビの、
燃えろ燃えろ、クズは燃えろ!
萌えるゴミは、今すぐ焼けろ!
の部分が最高に盛り上がるのだが、例に漏れず、観客は土下座の姿勢でヘッドバンキングをして、床に額を打ちつけている。自分も控えめにやってみる。
その後はメンバーエモーションを元に戻して、オリジナルとカバーを数曲ずつ。カバーでもソロコーナーがあり、そこでは各々のメンバーエモーションに合った曲が選曲されていた。1時間20分ほどのライブだった。
続いて物販である。物販でもメンバーエモーションは守られるらしく、メンバーごとの物販列は、鬼怒川さんのところだけ長く延びている。前の方から鬼怒川さんの浴びせる罵詈雑言が響いてくる。哀田さんの列からは、哀田さんのすすり泣く声と、必死で励ますヲタの大きな声が響く。喜多さんと神楽さんのところは、普通のアイドルとヲタのやりとりといった感じだ。
…どのメンバーが得なんだろう。
自分は遠巻きに物販の様子を眺めてから、会場を後にした。帰り際、鬼怒川さんの物販の方で、何か騒ぎが起きたようだったが、よく分からない。
これこそがまさに、感情労働であった。自分はアイドルを感情労働者だと言ってきた。感情をコントロールして、いつも笑顔でいなければならないという労働に従事する存在としてのアイドル。少なくとも、感情の表出とされるところの表情は、常に楽しそうに、笑顔でなければならない。それがアイドルの仕事となっている、と考えてきた。
Emoにおいては、そうした感情そのものを見世物にしている。これを見た時、ある種の救いがあるような気がした。つまり、常に笑顔を見せていなければならないという括りからは解放され、時には怒りの表情や哀しみの表情を見せてもよいという設定が、アイドルを笑顔の感情労働から解放してくれる。感情の演技をメタ化することで、感情に操られ拘束されるのではなく、感情を操るアイドルとして、主体的に振舞えることになる。
家に帰ってメンバーのブログを見た時に、さらにその思いは強くなった。たとえば神楽さんのブログにおいても、何か哀しいことがあった時は、「シャッフルエモーション」と前置きして、堂々と哀しいことを書いているのだ。「設定」を介することで、かえってアイドルが自分の「本心」を表出しやすくなっている。
一方で、一旦パッケージしたそれらの感情に、結局のところ拘束されてしまう、というリスクもまたある。演技とはいえ、特に負の感情の表出の振りをし続けることは、精神的には相応のストレスを伴うかもしれない。そこの部分とうまく付き合うことさえできれば、このEmoというグループは、とても批評的で面白い活動をしていると思う。
次の日、Emoの公式サイトにて、運営から次のようなコメントが発表された。
ファンの皆様へ
昨日のイベント後の物販にて、心ないファンの方より、メンバーが不快になる言動があり、一時物販を中断させていただく事態となりました。該当のファンの方については出禁とさせていただきましたが、今後のイベントにおきましても、メンバーを本当に哀しませたり怒らせたりするような言動は慎んでいただきますよう、お願い申し上げます。
…野暮だ。…野暮だなあ。
(続く)