アイドルが老いるということ

土曜に、森美術館の「医学と芸術展」に行った。
http://www.mori.art.museum/contents/medicine/index.html

中でも目を引いたのは、ジル・バルビエ作「老人ホーム」と題された作品。
http://www.roppongihills.com/events/2009/11/mam_medicine_and_art.html(ページ下部に画像あり)
スーパーマンバットマンなど、往年のアメリカヒーローの、現在の年齢に相当する姿をアイロニカルに表現した作品だ。
エネルギッシュに活躍し、人々の羨望を集めるヒーローが老いるということ。
ぼくの問題意識に引きつけるならば、アイドルが老いるということの問題。
実際には虚構のヒーローが老いることはない。だからこそこの作品が成立すると言えるが、アイドルの世界では、アイドルが老いるという問題は不可避である。20代、30代で「老いる」とはひどい言い方だが、クッキンアイドルの「まいんちゃん」のような小学生ですら、たった数ヶ月で「劣化」したと騒がれるような世界なのだ。
では、アイドルに「いい老い方」なんてものが、存在するのだろうか。


先日、メロン記念日が、突如解散を発表した。彼女たちは、10年もアイドルとして、脱退・増員をすることなく存在し続けてきた稀有なグループである。その意味では、モーニング娘。よりも長いアイドルグループだ。
あるいは、先日、『うたばん』にモーニング娘。OGが出演し、結局のところ現メンを差し置いて番組のいいところを持っていく結果となった。彼女たちは、もはやアイドルとは言いがたくなってきているし、当然過去の輝かしい時代の生き生きとした姿は見られない。それでも、その存在感。
彼女たちを、「いい老い方」をした、と言うことができるのか。
一方では、アイドルは「老いる」という言葉とは相反する、という見方があるだろう。
他方では、それでも、アイドルが歳を取っていくことと、それがアイドルである/あったことを接合していこうとする見方もあるだろう。
その年その年の桜を、これっきりの桜だと惜しむのか、それとも毎年新たな桜を咲かせることをその歳月の流れと共に楽しむのか。
アイドルを、生命エネルギーに照準して見るのか、その人生に照準して見るのかの違いである。
人生において、若くエネルギーに満ちた旬の期間はそう長くはない。多くの人間は老い、その人生の終息へと向けてゆっくりと歩みを進めていく。そうしたことに思いをはせるなら、「アイドルが老いる」という言い方をすることには、それなりの含蓄があるだろう。『うたばん』に出演していた、何の肩書きもない、(「人妻/元・ジョンソン」という名札をつけた)飯田圭織に対して、ぼくは元アイドルに対する嘲笑的な視線など投げかけるべくもない。そこには、よく年齢を重ねた(いい老い方をした)ように見える女性がいるのみなのだ。



「老人ホーム」という作品は、人間に不可避にやってくる「老い」への問いを誘発する。それは、誰にでも来る老いを受け入れよう、という啓発でもあるし、やはりヒーローも老いては形無しだ、という皮肉でもあろう。そしてまた、結局ヒーローは若くエネルギッシュでなければダメなんだ、という確認でもあるだろう。
そうした全てを踏まえた上で、週末、「ハロプロエッグ ノリメンLIVE」に行ってくる。ハロプロエッグ竹内朱莉(12歳)に照準予定。