要員になりたくない

さて、話を個人レベルに落とした時、ぼくは「要員」にはなりたくないなあ、と思う。この嫌な感じは対アイドル関係を探るにあたってとても重要である気がしている。はじめから席が悪いと分かっている、という点においては、オークションでいわゆる「糞席」を買う行為と変わらないにもかかわらず、そこには明らかな違いがあるようなのだ。その違いをなんとか表現してみるなら、「アイドルではない何者かに自分の席を決められたくない」という気持ちと言えるのではないかと思う。オークションでチケットを落とすなら、自分の意志で席位置を決定しているのだから、対アイドルの間に夾雑物はない。ところが要員となると、どんなに良席のチケットを引いても、出品者に預かられ、そして案の定後ろのチケットが渡されるという一連の流れがある。要は、これが夢がない、愛がないという感覚なのだ。
例えば、FCチケットであれ、イベントの整理番号であれ、あるいはこうしたイベントで引き当てたチケットであれ、長くヲタをやっていれば、超良席、神席に当たることがごくたまにはあったりする。その時、「なっきぃに呼ばれてる!」「ああ俺愛されてる!」という感覚を持つことがないとは言わせない(これは読み手の判断に委ねることにしよう…)。
そうした、神席が当たった夢のごとき瞬間――もちろんその後の観賞が素晴らしいことは言うまでもないが――の可能性があるかないか、という問題。これは、人がなぜ宝くじを買うか、そしてそれを「夢を買う」と言うか、ということと似ている。
ヲタは、…少なくともぼくは、アイドルに愛されたいと思う。この「愛されたい」を説明するのは難しくて、アイドルに見られることとか、ぼくの言うことに反応してもらうこととか、その他諸々のコミュニケーション(の可能性)を指すのだが、おそらく多かれ少なかれヲタには、自分だけを見てほしい、自分を個として認めてほしいという感覚があるのではないかと思う。
そうした、対個としての関係性を考えた時、自分が厳然と序列の下位に位置づけられる「要員」という存在は、アイドルからの愛を遮断されている存在であるように、ぼくにはどうしても感じられてしまって、なりたくないなあと思ってしまう。自分よりもアイドルに近い位置に、取引した相手が明らかに存在している、という感覚。これにぼくは耐えられないだろうと思うのだ。そしてさらに言えば、自分のほうがお金を持っていないがゆえに序列の下位にいる、という金銭的な価値尺度を現場に持ち込むというまずさもある。アイドルというサービスをお金で買っている、という感覚になっては、到底アイドルの「愛」にたどり着けない。