ラブホテルからアイドル現象を相対化する

ラブホテル進化論 (文春新書)

ラブホテル進化論 (文春新書)

読了。面白い。引用しながらいろいろ書こうと思う。
最近所用があり、ラブホテルに行く機会があったが、思うのはそのムダなところへの力の入りっぷりやら、金を惜しまない感じやら、非日常感やら、欲望がまみれた感じやら、世間体を気にしなきゃいけない様やらが、どうにもアイドル現象との接点を感じさせて面白いなあということで。


1.ムダなところへの力の入りっぷり
たとえばホテルによっては、それなりのアーティストがデザインを手がけているケースがある。壁面の絵であったり、天井のつくりであったり、風呂の構造であったり。
これをぼくは、テレ東の深夜番組のようなものだと考えた。比較的内容が問われないこういうところにおいて、クリエイターが本領を発揮できるのではないか、という。またつんくの歌詞を見てもいい。好き放題歌詞を作っているように見える。それと売り上げは、全然関係ないように見える。そんなもの消費者は見ていない。そんなの関係なしに、儲かる。そんな構造を見る。
しかし、ラブホテルはそんなに殿様商売でもないようだ。どう他と差別化を図るかという中での様々な試行錯誤の試みとして、奇抜な、時に滑稽なデザインも生まれるのだろう。これもまた、アイドル現象と似ている。他と差別化を図らなければ客はつかないが、ある層に訴えかけるように作れば、他の層には受けない、どころか、バカっぽく映ってしまう。没入している人以外は冷ややかに見る。誰にでも受け入れられる国民的アイドルがもはやいないように、みんなに支持されるラブホテルなるものは存在し得ないのだ。
P40「一つの戦術として、目立って認めてもらって、好き嫌いはあるんだけど、噂になるような……、気に入っていただけなければしかたないみたいな。」
まさにアイドルと同じ。熱烈に支持されるか、嫌悪されるか、両極端の評価を受けやすいということ。


P34「ラブホテルっていうのは何かとコラボレーションするということにおいては天才的な空間」
P73「ラブホテルが進化するを遂げる時、必ず何か全く別のものとのコラボレーションが見え隠れする。」
アイドルとラブホテルの共通点として、それそのものから逃れていく運動が存在する、ということが重要に思われる。ぼくはそのことを、「個々のアイドルがアイドル概念という恒星の周りを回っている惑星だ」と表現している。アイドルがいまや負の概念として一般的に認識されてしまっているのは間違いないと思う。Perfumeだって、アイドル概念とつかず離れずの距離を保つことで成功している。少なくとも、「アイドルらしさ」――それは必ずしも性欲という欲望のみと結びつくものではないが、それとの強い結びつきは否定できない――でない評価軸(例えば楽曲のよさや、ダンスや、歌唱力)がなければ、いまアイドルらしき存在として存在しつづけることは難しい。AKBのように開き直れば別だが(まあもちろん楽曲のよさやPVのクオリティとかあるんだろうけど)、どうしても寿命が短くなってしまう。
ラブホテルも、まあ85年の「新風営法」による規制への対処という側面もありつつ、ただそれだけの要因ではなく、セックスをする空間というところから逃れる方向性がある。
その一つは、以下のような宣伝効果をもくろむものだ。
P25「いわゆるセックスをするために用意された空間が、宣伝効果をあげるために設備を充実させたことで、多目的空間に変化していったということである。時代のニーズに合わせて新しい設備やグッズをどんどん投入することで、ラブホテルそのものが、その時代の人々のあこがれが集まる空間として確立していったのである。」
他と差別化するために、最新設備の「〜があります」という打ち出しをする。確かに、カラオケやらゲームやら、最近の映画が見れたりやら、風呂にテレビがついてるやら、照明設備やら、普通のホテルに比べても施設がやたら充実して、さらに回転率がいいもんだから値段も安くなっているラブホテルは非常に便利だ。そうした中で、客の空間利用の仕方も変わってくる。要は、性欲の発散をある程度中心としながらも、二人の時間の過ごし方が多様化する。これは、非常に示唆に富んでいる現象であると思われる。ラブホテルですら、性欲だけで回っているわけではないのだ。いわんやアイドルにおいておや、である。「愛」というわけの分からない現象を見ていく上でも、興味深いことだ。


2.主体が誰であるか
ラブホテルの進化の過程で興味深かったのが、主体が誰であるかという問題である。初め完全に男性主体で作られていたラブホテルは、風呂を透明にするとか、ベッドに様々な趣向を凝らすというように、いかに男が満足するかに視点が置かれていた。それが次第に女性の一応の地位向上にともなって、女性のニーズを満たすようになる。清潔感があります、アメニティが充実しています、というような売り文句に見られるように。そして今、主体は「二人」になっているという。P194〜195に、大学でのアンケート結果が載っている。ラブホテルの支払いを割り勘にしたいと思う学生が一番多いという結果が出ている。母体の少ない調査ではあるが、示唆的である。
これにむりやりアイドル現象を並行させてみる。アイドルは、男性ファンの欲望どおり、お人形のように操られていればよい、と考えるのが第一段階。そうではなくて、アイドル自身の主体性を認める、つまり恋愛も自由にしていい、というように、アイドルを意志ある存在として認めていくのが第二段階。そして、その後にくるのが、アイドルとヲタが共犯関係を結んでいく、その時々で主体性が移り変わり、どちらが能動的・受動的か、SかMか、不断に入れ替わっていく関係である。例えば嗣永桃子であったり、中川翔子あたりに見られるように、うまく自分をプロデュースしていく感覚。時にヲタはアイドルをいじり、時にアイドルがヲタをいじり、その往還の中で、アイドル現象をみんなで作り上げていくという感覚。夢はみんなで創れ、という考え方。こうした対アイドル関係が結べるといいなあ、と思う。今℃-uteはそんな感じだと思うのだが。まあもちろん、この第三段階を一番優れている、などと安易に言うことはできない。


3.非日常性
アイドルの衣装、ライブの照明。ラブホテルの妖しいネオンと部屋と照明。
非日常性が蠱惑的な魅力を持っていることは間違いない。その非日常空間においては、むしろ金を使うことこそ善であるかのような、一種の狂いがある。いざホテル入って、一番高い部屋しか空いてなくても、もう引っ込みつかない、みたいな。そこで理は働かない。情で動く。
昔、あったまる以外の目的でカイロを何十個も買ったヲタがいた。自分もその一人だ。贅沢とは、ムダなことをすることだ。エネルギーを徹底的にムダ遣いする。


4.世間体
アイドル現象もラブホテルも、どちらも基本的には後ろめたさの感情と共に支持を受けているものである。一般的に、よしとされるような存在ではあまりない。
ラブホテルの場合、徹底的に匿名性が重視されて、フロントを通さずに部屋に入れて、自動精算機で支払いをして、と、誰とも接することなく利用できたりもする。それから、ラブホテルという負のイメージ、後ろめたさ自体を払拭するために、シティホテルに雰囲気を近づけたり、設備を整えたりする。
なんだかんだ言って、やはりセックスを第一目的としてしまう空間を、いかにカムフラージュするか、オブラートに包むか。アイドルの方だって、セックスとそのままつながらなくとも、「男→女」視線の不純な要素を完全に取り去ることはできない。そこをどうカムフラージュするか。
文化の豊かさって、こういうところにあるんではないのか、と思ってしまう。これが日本文化特有かどうかは知らない。ともかく、このオブラートにくるむという行為こそが人間の多様なあり方を受け入れる寛容さにつながったりもするのではないか。
筆者は、これからラブホテルが二極化するであろうと言う。セックスできればいい空間というだけの「陰のホテル」か、「異なるニーズに細かく対応できる、サービスや設備がより洗練された空間」としての「陽のホテル」か。ただ筆者は、「陰のホテル」に否定的なわけではない。それは必然的に存在してしまう。それは我々に性欲があるということそのものとどう付き合うかという問題と同じようなものであるのかもしれない。
アイドルで言えば、より即物的であるアイドルか、豊穣な物語性・イメージを供給してくれるアイドルか、という二項で考えてみてもよいかと思う。ぼくは前者にAKB48を当てはめてしまって、あまり彼女達を評価できない。これが正しいかどうかもよく分からない。後者に℃-uteを当てはめて、それを希望にしている。
アイドルに対する欲望を、性欲を軸にしてパターン化してみると、①性欲を隠さずに消費する場合、②性欲をなにかでカムフラージュして消費する場合、③そもそも性欲じゃない欲望である場合、に分けられる。ぼくは①がアイドルにとっては重すぎるんじゃないかと思う。②がアイドルを守る倫理であるように思うのだ。
欲望の処理の仕方。性欲はやはり秘されるべきものであるように思う。それをどのように秘するか。そこに文化がある。セックス自体は文化ではない。ある地域、時代に固有であること、その諸条件から独立でないにせよ、自由な創造でもあること。それが文化であり、それが世の中を多様にし、面白くするはずだ。


アイドル現象もラブホテルも、多様な欲望と、内部外部の様々な視線にさらされ、滑稽でありながらも必死な形相で生き残ろうとする様が、それ自体は「生」というものの象徴的な現れのようで、見ていてその生々しさを逆にすがすがしく思えたりする。ぼくはそういうものがどうしても好きなのだ。
勢いでまとまらないことを書いてしまった。まだまだ、語るべきことがあるように思われる。面白い。