リアルの濃度

現実にうつつを抜かして、ブログ更新もままならない斧屋ですこんにちは。


リアルの濃度ということに思いをはせる。
現前性、そこに身体があるということの強度を思う。
身体があるからさわれるんではなくて、さわれたら、そこに身体があるということ。
さわれなければ、そこには身体はないということ。
アイドルはなかなかさわれないから身体性が希薄なのだ。
ベタベタさわれるようじゃアイドルじゃない。
かろうじて手と手が触れ合うのみだ。
だから相対的にはやはり軽い。
身体が希薄だということは、その対象の重みを引き受けないということだ。
それに対して、現実に身体をべったり触れる行為は、その対象の重量を抱えることだ。
その重さを耐えうるか。しかしその重さこそが圧倒的なリアルとして立ち現れる。
恋愛の濃密さから、リアルを学ぶ。


さて、八王子の良席を狙う。
身体性まで引き受けたくて、どうしても近くへ。濃密な知覚へ、アイドル現象の地核へ。