ヲタ活動と恋愛は両立する

この間、ヲタ活動と恋愛は両立するんじゃないか、と書いたら、いくつかの場所でその話題が引き継がれました。こちらも一歩進んで書いてみたいと思います。
ヲタ活動と恋愛が両立する状態について、いくつかの可能性を考えてみます。
①配偶者(恋人)に隠れてヲタ活動をする状態
http://d.hatena.ne.jp/dx_sifri/20080904/p3
http://d.hatena.ne.jp/dx_sifri/20080905/p2
なかなか大変そうですが、これはこれで一つのあり方だと思います。
ただ問題になるのは、やはり多くの人が、アイドルに対する愛と、恋愛が両立し得ないと捉えていることです。であるからこそ、隠さなければならない。ヲタが、アイドルへの愛を擬似恋愛と捉える場合もあるし、配偶者(恋人)の側が、ヲタ活動を恋愛や、もしくはそれよりも汚らわしい何かとして目に映してしまう場合もあるだろうし。いずれにしても、そうした理解しあえなさとか、理解してもらえないだろうというあきらめを見るとき、どうしても「一般⇔ヲタ」という二項対立を導入せざるを得ない気になってしまう。


②配偶者(恋人)もヲタである状態
非常に幸福な関係だと思われます。この場合、完全に恋愛とアイドル愛は別物として両立することになる。自堕落な共依存関係にならなければ、とても幸せ。たぶん注意しなければならないのは、ヲタ同士というのは同質的な他者であるがゆえに、その恋愛関係が、結局のところ自己愛に終始してしまわないか、ということだと思います、よくわかんないけど。


③配偶者(恋人)がヲタではないのに理解してくれる状態
配偶者(恋人)がハロヲタではないが、オタク的感性を持ち合わせている人で、理解して付き合ってくれるケース。つまり、オタク的価値観に関して共感できるので、ハロヲタ的価値観を理解できる、そうした、「共感はできないが理解できる」関係性。そうやって、相手が自分と違うことを認識しながらも付き合うという関係性。


①は共感も理解もされないレベル、②は理解し共感するレベル、③は共感できないが理解してもらえるレベル、の関係性。
僕は、神宮花火の件などでどうやったらヲタが「閉じない」で倫理的にいけるかと考える中で、③のような他者関係はその答えを出すヒントになるのではないかと考えている。他者関係が常に②のように共感できる関係性であれば幸福だが、必ずしもそうではない。そうした時に、共感できないが理解できる関係性によって他者とつながっていくということが重要なのではないか、と僕は考える。ただ残念ながら、どうしても一般人的価値観と、オタク的価値観は、架橋できないほど断絶している印象がある。であれば、似ている他者、同じでもなく離れすぎてもいない他者(異種のオタク)と関係性を結ぶことから始めようか、という話。


堅苦しい前置きが長い。
僕は、③のような形でヲタ活動と恋愛を両立できることが分かりました。
自分側において、今日なっきぃをいつもと変わらず愛することができて、なっきぃへの愛が恋愛に回収しきられるものではないと分かった。
そして、相手側においては、自分のヲタ活動を理解してくれている状態。
面白いなあ。他者がどう現れるかという問題を考える点で興味深いし、単純に楽しい。
こんなことが稀有なめぐり合わせによって成り立っている僥倖に感謝します。