場のルールはどのように形成されるのか(3)

ま、全て最高で終われば言うことなしなんだけど。

こういう、開かれた場では、どうしても「一般人VSヲタ」が問題となる。
多くの一般人は、花火が目的で来ているため、特にその前のライブが見えづらくたって、ヲタが気持ち悪く叫んだり踊ったりしたって、逆に楽しんでくれたりもする。だけど、それが自分の至近距離で自分を脅かす形でされたら、当たり前だが不快だし怒るのだ。
具体的には2つ。
1つは、自分の席の後ろが親子連れだったのだが、自分含めてヲタが立ったものだから、ステージが見えなくなって、前の方の席に移っていってしまった件。この親子連れはその後も通路はさんだところのヲタが激しく踊っていることでかなり迷惑を被っていた。
2つ目は、ヲタがドリーム(席移動)して狂喜乱舞していた席に、本来そこの座席のチケットを持っている人が来て、係員がヲタをもとの席に戻るようにうながしたところ、特攻服を着たヲタが逆ギレしながら去っていった件。(もちろん特攻服自体をどうこう言う気はない)
前者に関しては、自分も片棒をかついでいるので、うかつなことは書けない。とは言え、これは仕方がない、と僕は言いたい。これはファミリー席ができるまでハローの現場で問題とされていた現象で、座って見たい親子が、ヲタが邪魔で見えない、だからファミリー専用の席を作ろうじゃないかということになったわけだ。今回、残念ながら、というか当たり前のこととしてファミリー席の設定などない。あくまで花火大会だからだ。そんな中、ヲタも席を選べない、親子も席を選べない。じゃあ親子の前にいるヲタは着席ください、などという権力を発動はできまい。それをするなら、初めから、「全席においてライブは着席して観覧ください」とするしかない。そうしたルールが設定されなかった限り、ヲタはライブ中立っていいのである。これは難しい問題だが、ヲタはヲタなりの現場の倫理を持ち込んでいる、ライブは立って見るもんだ、という行動規範もその一つである。それを崩すためには、明確に主催者側がルールを設定し、さらにそれを厳格に適用する用意があることを示さなければならないと思う。僕が聞いたのは、「ご自分の席でご覧下さい」ということだけだったように思う。
セットリストがあれだけ激しい曲揃いで、特に前もっての注意もない状況で、ヲタが大人しく観覧していると思ったのだとしたら、それは主催者が何も考えていないということになる。そうではなかろう。これはある種責任転嫁的な物言いかもしれないが、主催者はヲタが立って大騒ぎすることを容認、または黙認したのだ。だから、僕はヲタの後ろにいる親子は、不幸だったとしか言い様がないと思う。せめて係員が空いてる前の席に誘導してあげるくらいしかできないのではないか。僕はこれを他人事として語れないのでこの文には責任を持ちたいと思うが、僕は後ろに親子がいるからという理由で大人しく見よう、などという倫理を持ち合わせていないし、これを堂々と主張する気はないが、自分の行動を変えるつもりはない。これは自分のヲタとしての譲れないラインなのだ。僕は親子に気を使って、空いているスペースに移ってライブを見ようかということくらいは考えた。しかし空いているスペースには他のヲタがどんどんドリームしてきたということもあり、自分の席でそのままライブを見たのだった。
後者。ドリームってのは、それがばれたらもうすごすごと退散するしかないことだ。なぜなら主催者の設定する場のルールに違反しているからだ。ヲタの倫理は主催者のルールよりはゆるく設定される。僕のヲタとしての倫理は、「ドリームは明らかに空いていると思われる席へ移動し、もしその席の人が来たらさっさともとの席に戻る」という、びくびくしてやるものという認識だ。基本的にドリームに関して自己正当化する論理はかけらも構成できない。ヲタの心理としては、やりたくなる、だけど、堂々とやるもんじゃないのだ。
件のヲタは、一般人の主張により係員がどかそうとした後もぐだぐだ何か文句を言っていた。それはもう、やっちゃだめだ。


いろんなところで一般とヲタとの齟齬が起きていた。それは価値観・利害の不一致からくるある程度仕方のないこともあったし、そうではなくて、全く論理として言い訳のできない迷惑行為もあった。いずれにしても、迷惑を被ったと感じた一般客は、大いに主催者にクレームをつけるべきだと思う。そう思わざるを得ないほど、ヲタの対外イメージを悪くするような行為をする輩がいる。そして、その中に自分も含みいれて考えなければならないという複雑さ。一般人への迷惑をかける度合いが、どこからセーフでどこからアウトなんてないのだ。
でも、もう一つ書いておかなければならないのはヲタも一般も、両方が満足する運営なんて、ほとんど不可能なんだろうなあ、ということだ。妥協点が見出せない。今回の件では、一番いい解決策は、ヲタ席と一般席に分けて、一般席は着席という厳格なルール設定をすることであろうが、すでに発売が開始された後でのゲスト決定という状況では、こうした対応も無理だった。だから仕方ないよね、とあぐらをかくわけではないのだが、僕は僕の満足を追求するのだった。それが一般的な倫理から外れるとしても。


そしてまた、こうした一般とヲタとの乖離という現象が、ベリキューを、どうしてもキモいヲタがいるアイドルグループという印象にしてしまうマイナス面の可能性も見逃せない。花火大会で認知度を上げるというプラス面と、ヲタがキモいアイドルグループというマイナス面と。せっかく一般への訴求ができる機会で、ヲタが結果的に足を引っ張ってしまうこと。このジレンマはきつい。事務所は頑張ってこの仕事を取ってきたんだろうし、ベリキューのメンバーも頑張ってパフォーマンスしていたし、ヲタだって頑張りかたはさておき、頑張ったのだ。みんな頑張っていても必ずしもハッピーではない難しさ。


大変難しい物言いなのだが、ヲタの倫理を、それより広い一般的な倫理の枠の中でどう定位づけていくか、どう折り合いをつけるか、そこの妥協点の見出し方が今日は求められていたんだろうとは思う。自分を棚上げにしないで、どこが許されるラインなのか、どこが譲れないラインなのか、いずれにしても、人っていろんなところで迷惑かけて生きているんだということだけは自覚しておきたい。