LALALA 幸せの歌

℃-uteの新曲となったようだが、曲もそのこと自体に対しても評判がよくないようである。僕は初めて聞いたとき大歓迎だと思ったのだが。
℃-uteBerryz工房の比較論にもなるのだが、この曲はBerryz工房の曲にはならない。これは多くのヲタに共有される感覚だろうか。「平和」「家族」「人間大好きさ!」って、ほら、縦のラインをイメージさせる℃-uteじゃなきゃ、もってこれないでしょうが。正直Berryz工房に家族の温かさを歌わせるのには無理があると思う。あんまり過激な書き方を避けるなら「Berryz工房=友達」、「℃-ute=家族」というアナロジーならそんなに悪くないか。
ともあれ、無難な書き方をするなら、この新曲の件は、「人間賛歌」(愛と言ってもよい)を主題とする娘。イズムを℃-uteが正式に引き継いだことを象徴する出来事だと思うのだ。そういう意味で、℃-uteヲタがそんなに悲観すべきことではないと僕は考える。むしろ僕は「都会っ子」調の曲が続くことの方が怖い。℃-uteというグループのイメージ戦略を考えた場合、あるいはBerryz工房と差異化して売り出すことを考えた場合、「恋愛色」をやたら打ち出すのは得策とは思えない。アイドルの寿命ということを考えたときにも、あまりにも早急に露骨にヲタと推し対象の擬似恋愛の世界に引き込むやり方はとらずに、「やじうめ」とか「やじ・まいまい」とか「かんなレズ疑惑」みたいな、メンバー同士の関係性に萌える、というイメージ付けの方が長く℃-uteの世界を楽しめると思うのだが(これは格闘技とプロレスの違いに似ている、のかな)。
曲自体がつまらん、という意見には、主観としてはその通り、と思う。僕はつい歌詞の方で語ってしまうが、娘。の曲で言うと、「でっかい宇宙に愛がある」に近い。完全にベタに「人間賛歌」に向かっちゃうパターン。これはつまらない。それを相対化する滑稽さやお祭りの要素があれば面白いのだが、例えば「ハピサマ」のように「父さん母さんありがとう」をお祭り的合いの手で茶化してしまうようなやり方が今作にはない。だから、逆にヲタとしては曲に対して一線を引いて、没入することが阻害されている気がするのだ。NHKが大好きすぎる曲は、ヲタにとっては不評になるだろう。
ともかく事務所は一般のファンの開拓に尽力するのだろうけど、僕はあまりそういうのには興味がないので、℃-uteという物語が僕にとって面白いことをまずは望んでいます。もちろん℃-uteが一般にも受けて、ヲタにはヲタなりのディープな楽しみ方があって、という多義性があるのが一番アイドルとしては望ましいのだ。