「謝れ」なんてどの面下げて言えるものか

いつものように、アイドルに「謝罪」を要求するようなテキストも転がっていたりする。
僕はhttp://d.hatena.ne.jp/onoya/20061103/1162581864 でも書いたのだけれども、ヲタである自分が安全な立ち位置からアイドルを断罪するなどという馬鹿げたことをしてはならないと思うのです。
今、僕の部屋には辻のポスターが貼ってある。彼女の顔を見て、「謝罪」という言葉を思い浮かべた瞬間に、なんだか知らないけれどぼろぼろ涙がこぼれてしまったよ。「あやまれ」なんて、死んでも言えねーよ。そんなこと言えるはずがないじゃないか。愛した存在、これまでいっぱい幸せをもらった存在に、謝れと言うおまえはどれだけ偉いんだ?「責任がある」というのは構わない。確かに仕事に穴を開けることになるんだから。でも、じゃあ面と向かって「謝れ」って言えるか?
もちろん僕は涙で物言わそうなどという姑息なことをしたいのではない。ただ言いたいのは、自分の人間としてのあり方を棚に上げといて、一方的にアイドルを断罪するというような無責任なスタンスをとっているにも関わらず、アイドルに「責任」という言葉を押し付けて平気な面をしている鈍感さに我慢がならないということだ。よっぽど腹の立つサイトを貼り付けようかと思ったけれども、それもまた「一方的な断罪」であるからやらない。日記やらテキストを不特定多数の人間に開かれた状態にしている者であれば、自分がヲタであるということそのものへの自覚もした上で文を書くべきだと思う。アイドルへの批評も行いつつ、自らの反省もまさにヲタ活動の中で行っていくという姿勢。情報を発信する立場としての最低限の責任だと思うのだが。
僕はアイドルはある意味では自分の「鏡写し」だと思っている。現場でただ楽しもうってだけでなくて、文章まで書こうなんて人々は、きっとアイドルを拠りどころにしたり、ヲタ活動が「自分探し」だったりしているはずなんだ、多かれ少なかれ。そういう人間が「アイドルが裏切った」とか言ってすぐに切り捨てるというのは、要は「ホントウノジブン」とやらをいつまで経っても見つけられないという悲しい構図なんではないのかなあ。そんなヲタが多くいる限り、アイドルは滅ぶし、ヲタはヲタで閉塞したままだろう。
(なんかアイドル現象を金とサービスの交換としか考えてない輩もいるようですが、そういう人間はヲタをやめたほうがよいと思う。)


僕が淡く想像する未来。
出産後に辻が握手会を行って、その握手の時にようやく面と向かって「おめでとう」と言える自分。それができたら、僕は自分のことも成長したと思えるし、辻に対しても微々たる恩返しができるだろう。そのくらいの「のぞみ」は持ってもいいよね、たぶん。


…僕の中で、神は死んでない。