あらぬ方向

初めて知りました。
『ピュアロマンス ヲタ芸アイドルユニットデビュー』
http://news.ameba.jp/2007/03/3979.php
http://nrpro.co.jp/pureromance/
あらぬ方向だなあと思う。「ヲタ芸は実存的営みである」、などと卒論で書いた身としては残念でならない。
一体、ヲタ芸萌え要素のどこに関連性があるというのだ?
…けれども、ヲタ芸は誰のものでもないのだから勝手にすればいい。
娘。紺の最後のハピサマで打つOADの心地よさよ。


一方。
『U-15に自主規制進む中、9歳のTバックアイドル誕生』
http://news.ameba.jp/2007/04/4263.php
「本来はピュアや清純さの象徴だったはずなのだが…。」とあるが。
ここで、「本来」を語ることにどれだけの意味があるかよくわからないけれども、僕はどうしても「消費の仕方・させ方が間違っている」という感覚を持ってしまう。
この感覚というのは、ハロメンが水着写真集を出すときに抱く違和感と似ている。つまり、「他の奴だってそんなのいくらでもできるじゃないか」という代替可能性。アイドルをそのアイドルたらしめているものは何かという問題。
アイドルの全てを「エロ」という価値基準で覆おうとする圧力。アイドルの愛で方を「性欲」のみに画一化しようという力。確かに生物としての根源的な欲望であるがゆえに、そこに訴求していくのがもっとも「間違いがない」。けれども、それゆえに間違いと言いたいんだなあ。「QOL」とでも唱えましょうか。「Quality of Love」とでも。アイドルの愛し方をちゃんと考えなければいけません。
ジュニアアイドルはもちろん着ようと思えばいくらでも過激な水着を着ることができる。なにしろ隠すべきところなんてほとんどないんだから。写ってはいけない余計な体毛だってないんだから。なんか映画「ラジヲの時間」を思い出したよ。西村雅彦がラジオドラマについてこんなこと言ってたな。「人間に想像力がある限り」、みたいなことを。そう、テレビはとりあえずいろんなものを映してしまう、だから僕らはそれ以上想像する必要がない。
すべてを露わにしたら、僕らは何かを信じられるのだろうか。ジュニアアイドルを丸裸にしたところで、目に映るものってのは一体なんなんだ。丸裸を前提にして、それに水着やら制服やらメイド服やら体操服やらの衣装を着せ替えていく、という印象。
僕はコンビニ弁当はやっぱりおいしくないと思う。味付けが濃くて、添加物ばっかりだ。食材そのものがおいしいと感じられるものではないのだ。僕はそういう風に捉えている。知覚として刺激的なものにして、さまざまな衣装という添加物を加えたところで、いい料理とは言えんと。素材そのものの魅力をどう生かすかなんじゃないのかいと。
丸裸にすることで、その人間の魅力は一つも伝わってこないという皮肉。そう、皮と肉ばかりで、中身がないんだな。
こういうことを書くのはあまりにロマン主義に過ぎるだろうか。正直、論理的にこういうものを否定することなんて無理なのだが、なにか倫理的な観点から言いたくなってしまうんだよな。それが危ういことは重々承知しているつもりだが。
でもやっぱり、↓みたいのを見た日には、うーん。
http://www.eic-book.com/blog/2006/12/22/000567.html
「人間とは」、って大仰に構えてしまう。