ラーメンズ 第16回公演『TEXT』

久しぶりのラーメンズ
終演後、いつまでも拍手をしてい続けたい自分がいた。
僕にはあこがれの人、というのはなかなかいないけれど、小林健太郎という人は自分がそうなりたい存在であると言っていい。それにしても、僕はこれまでの人生で本格的に演技するということに全く触れてこなかったにもかかわらず、何かを演ずる、ということに今惹かれている。「ガラスの仮面」じゃないけれども、普段平凡な人間がなんにでも化けられる、というのは、いかにも現代的。複数の物語を生きられることの魅力。逆に言えば、自分が誰でもあり、誰でもないということ。
ライブの内容を書くのは野暮だが、「TEXT」というタイトルから予想された通りのラーメンズの世界。前回公演同様、油断していると頭がついていかない。なんたるスピード感、めまぐるしいテキストの戯れ。


さて、ラーメンズ本公演のオリジナルグッズが、ラーメンズ新聞なわけだが。
新聞の体で、表裏に、文字を黒塗りしたような大小の管が紙面を覆っている。要は全く文字のない新聞。紙面の上方左右に小林・片桐の写真がある以外は、何の情報もないただの紙。新聞の中面は全て白紙。これが1000円。
ヲタである自分は、すみやかに思考が推移する。
「なんだこれ。」→「こんなものが1000円か?」→「『こんなものが1000円か?』か。」→「あーなるほどな。」
僕はいつだってこれと同価値の、無価値のものを買いつづけてきた。そういうことだ。
本公演の「TEXT」と引きつけて考えてもいい。新聞の価値とは何か?新しく聞くことだ、けれども、それにどれだけの価値があるというのか。新しいというだけの価値か。なにも主体的に考えない者にとっての新聞ってのは、黒塗りの新聞の体をなしたものでも変わらないのではないか、なんて。
1000円という半端じゃない値段が、ラーメンズの世界を僕らに試している、という気がする。例えばどこかのブログでは、これを笑えるようでなければ…みたいなことも書いてある。しかしここでラーメンズは二重三重の罠を仕掛けているような気もする。デュシャンの「泉」じゃないけれども、作品・商品ってのはその立ち位置で価値が変わってきてしまうものだ。ラーメンズ新聞ってのはラーメンズというイメージだけの商品という点では、ラーメンズ自身が嫌っていそうなブランド化のような気もするし、逆にラーメンズの遊び心を理解したものだけが楽しめる粋な商品ということもできる。要はそれらの決定不可能性みたいなものも炙り出しているような気がする。だから彼らが、僕らを見下しているような気もするし、試しているような気もするし。
ただもうひとつ可能性として思うのは、本当にラーメンズの遊び心を解するなら、これを電車の中で広げるのが一番なんではないかと。いかにも読んでいるように見せかけて、中は白紙。自分自身を芸術品にしてしまえと。単なるラーメンズシンパじゃないかと思われるリスクを背負ってでも、それをやってみたい気もするのだった。


もらった演劇のチラシの中に、「何日君再来」があって、思いがけず辻の写真も。役者でもある辻か。でも辻は役者じゃない。