愛㌦

あっ!とおどろく放送局」で、THEポッシボー「主食=GOHANの唄」PVを見た。最後にご飯を食べるポーズで終わる。ふーんむ。
「ともいき」もそうなんだけど、このメッセージの不必要な濃密さってのが好きなのです。伝わらないのに情報過多。「THEポッシボー」っていう英文法無視のネーミングもよい。もちろんさまざまに解釈可能だ。
ところで、そんなチープ感漂うアイドルのみならず、この土日はBerryz工房のバスツアーがあり、先週は℃-uteのライブ後の握手会があり、来週は娘。、美勇伝、のんちゃんのシークレットフェスタがある。一度も行けてないがカジュアルディナーショーだとかファンの集いだとかもある。要は、少数のヲタのみがアイドルと接近できるイベントの増加ということである。これが是なのか非なのかという問題。例えばBerryz工房のヲタがバスツアーに落選したのを期にヲタをやめるという話を聞くと、いかがなものかという気もするのである。と言いながら、必死こいて上記のイベントに行こうとする。もちろん、ヲタはイベがあれば行きたいわけだから、多数がはぶられる状況そのものはヲタの存在の危機である。
僕らは心理的にアイドルと1対1の関係でありたい。そう思わない奴はファンじゃない。
でもアイドルと1対1の関係ではいられない。そう思わない奴はヲタじゃない。
僕は先週の℃-uteとの握手で久々に思い知ったけれども、僕らはアイドルから一瞬の時間を切り取って、ほんのほんの刹那アイドルと二人だけの時間を共有する。アイドルと接することで、自分が世界でただ一人の存在になれる。肯定されるべき存在として認識できる。
そんな瞬間を享受する機会にあまりにも恵まれなければ、苦しい。誰か自分を認めてくれる、自己の存在証明になるアイドルを探さなくちゃいけない。逆に、アイドルの側から言えば、我々の心をつなぎとめておきたければ、「アイドルは平等にみんなのことが好き」でなければならない。で、少しずつアイドルの時間を細分化して我々にくれるなり、ライブ会場でみんなに平等に「愛」をくれればいい。その愛の分配のバランスが崩れてきてやしませんか、と。ヲタの世界にも「格差」ができているのか。(アイドルを貨幣に例えるのはそれなりに面白いことだろう。)
じゃあ「安倍」内閣に物申さなきゃいけないということになる。アイドル世界への働きかけ。