楽曲について。

「As ONE」がいい。「東京はさみしさだって風景に変えちゃう だけど明日も自由なんだよ」っていう歌詞が社会人の身には響く。じゃあこれが何を意味するのかは勝手な解釈に委ねられるんだろうが、先週見た渋谷の℃-uteの広告も都会人のさみしさを反映した風景なんだとか言ってみてもいいだろう。で、明日も自由なのかどうか。この現代において、人間って自由なはずなんだけどなあ。どうしてこんなに縛られてしまうんだろう。
YES! しあわせ」。合いの手を入れることが幸せだ。若いときって、未来に何の疑いもなく希望のみを見出している時期がある。彼女たちがそういうことを歌ってくれると説得力がある。大人が言ってもあまり意味がないんだ。屈託なくそんな平和な恋愛を最近歌っていたのは大塚愛だったが、℃-uteのほうが、いいに決まっている。
「さよならのLOVE SONG」。愛理はうまいけれど、聞いていて後藤の偉大さが分かった。声のコクというか深みというか。
ちょこっとLOVE」。ナッキーがお尻をふると全然エロくない。辻とも違う。
「乙女パスタに感動」。意味のないことを叫ばせてくれ。普段意味にからめとられている僕は、ちょっとくらいそこから解放されたいのだ。だから叫ばせてくれ。「くひ!くひくひくひ!」「たひ!たひたひたひ!」って叫ばせてくれ!まぎれもなくタンポポの曲でありながら、℃-uteが歌おうともいやな気はしない。むしろその継承を喜ばしくも思う。ハローという枠組って、僕等ヲタにも重要な空間、範囲なんだろう。例えば、ライブ途中のVTRで、ハロ紺の舞台裏で道重が自分の世界に引き込もうとしても、ヲタはそれに没入できる。
わっきゃない(Z)」。よっしゃよっしゃよっしゃー。
桜チラリ」「大きな愛でもてなして」。洗脳する方法のひとつに、単純な作業をひたすら続けさせるというのがあるが、この2曲で完全に洗脳完了である。ここらへんに至っては、客観的に眺めていた視線はどこへやら、舞美とナッキーを必死で追ってました。
30分ほど待たされて超高速の握手会。だめだ、しゃべること適当に考えてたら、舞美としゃべったあと頭真っ白になってもう握手の記憶もほとんどない。これ、のんちゃんの集いではしっかり考えないといかん。


℃-ute。とてもいいライブでした。推せます。グループとして推せます。プロとしての仕事をしてくれました。MC中の万歳コールもここちよかったし、心から万歳を捧げられた。もちろんプライベートでいろんなイヤなことがあるんだろうけど、ステージ上の堂々たる彼女達を見ていたら、彼女達に対してヲタであるということが失礼ではないと思った。崇拝もできるし、バカにもできる。そうしたアイドル―ヲタの関係性をもっても悪じゃないという感覚を持てた。夜チケが入手できずに家についたら、胸のあたりが空虚だよ。カラッポな胸に虚構を詰め込んでいきたい。