リストバンド

ライブで気になったこと書き忘れてた。
新垣がMCで巻物写真集に入っているリストバンドを話題に出して、「裏に願い事を書くと叶うらしい」と言っていたこと。
いやもちろん、巻物写真集の販促以外のなにものでもないのだが、こういうあり方だ、卒論で言いたかったヲタとアイドルの関係性。

卒論第三章でこんなことを書いた。
『…自らが従う規範や行動を規定するものとして「アイドル世界」を作り上げようとすること、つまりアイドルの情報を収集し、グッズを集め、アイドルに近づこうとする行為は、その行為に耽溺することでさしあたって日々をどう過ごすかの迷いは解消するという意味において、すでに「アイドル世界」から規定された行為のように見える。このように、「アイドル世界」を求めようとすればするほど、そのこと自体が規定された行為のように現れる連鎖の中で、モーヲタはさらに「アイドル世界」に近づくべく際限なくヲタの活動を続けるのだ。…』
大量生産されて神聖性の欠片もないようなリストバンドの裏に願い事を書いて叶うと思っている人間は相当娘。への信仰が深いのだろうが、そうでなくても、娘。がそう言ったから買う、というヲタであればよい。
娘。がそうしなさいと言った事を守り、日々を過ごす。グッズを買う、ライブに行く、その一例としてリストバンドの裏に願い事を書く(どうせヲタ関係のことなんだろうが)。すると、願い事が叶うかどうかはさておき、日々何をすべきかと悩む必要はなくなる。娘。世界に依存できていること、これは願い事が叶うかとは独立だが、ヲタにとっての救いである。そうして、こちらから接近していったはずのアイドル世界に次第に依存していくことで、逆にアイドル世界からの教えに従うかのように、「買うことになっている」グッズを買い、「行くことになっている」ライブに行くようになる。
要は、「どうやって生きていったらいいか教えてください」と思って一生懸命アイドル世界にのめりこんでいく生活そのものが、アイドル世界からすれば「そう生きろ」という答えなのだ。
これって、占いだとか宗教だとか、基本的には同じことだ。
占いも行動指針を与えることを目的としている。当たるかどうかは二の次だ、もちろんはじめから当たらないということになっていては困るわけだが。何もないよりは、行動する時に参考にする材料があったほうが精神的には楽、というわけだ。
宗教では、例えば来世で救われたいと思って、神にすがりつく人が、神にすがれているということにおいてすでに救われている、ということになる。
そうした「依存」が、いいか悪いか、人によって判断が分かれるんだろうが、救われないよりは救われている方がいい、そりゃそうだ、と思うのだが。自分も昨日、ひさびさに救われている自分を感じた。まあ、あまり虚構に没入しすぎると社会生活に支障をきたすからな。足元をすくわれない程度に救われよ、ということか。