辻がいるかどうか確かめに

多摩に行ったわけだが、残念ながら確信をもって結論を出すことはできなかった。
ところであれほど気になっていた辻の腹筋だが、今回はあんまり気にならなかったなあ、4列だったけど。ただひとつ思うのは、推しがいれば、ほんとに好きな推しがいれば、ずっと観てるだけで十分なんだなあ、ということ。PPPHのリズムが崩れちゃうのは、いいことなんだ。ヲタ芸なんて結局自分への集中行為であって、そう、推しを見つめる行為は、自分を存在を極限まで薄くしていって、推し対象が全てであるようにする、対象に自分を同化させていく行為だ。ここでただ推しを見つめることと、ヲタ芸に没入することという、二つの宗教性がはっきり分かれるわけだが、僕は今日、しっかりとアイドルという権威を自分の中で復活させることができたわけだ。
そういや、一回その極限とも言えることがあった。あや紺で、あまりにも陶酔して――それは自己陶酔というよりは、松浦になりきるという儀式であったが――ステージ上の人間と、ここにいる人間と、どっちが松浦亜弥だっけ、と0.2秒ほど迷った。まったくどうかしているが、それがまさに「同化している」ということなのだ。
外部の権威が復活すること、これは人間にとって喜ばしいことだ。卒論で僕は「マジヲタ」→「DD」化ということを論じたが、去年あたりから、また「マジヲタ」、つまりしっかりとアイドルの権威を認め、アイドルを崇拝できるヲタが増えてきていることを感じる。その証拠として、会場でのヲタ芸の減少傾向をあげることができる。最近見ないんだ、OADとか。もちろん迷惑行為だから減少するのは分かるけど、でもそんなことよりはっきりとヲタの志向として減っているんじゃないかと思う。娘。のアルバム曲も「外部」「世界」を意識させたつくりだし、ライブもMCをちゃんとやって、アイドルがいなきゃならないライブになっているもんね。
さて娘。の話になってしまったが、ハロプロパーティのほうもMCがあって、全般的に楽しい、あいぼんいないけど。
いやでも気になった点は、石川まで美乳伝をやっちゃってたこと。サービス過剰なんじゃないでしょうか。僕は必要ないと思う、岡田を除いて。岡牌については去年書いたので繰り返さない。日本の美だとかなんだとか言ってた美勇伝はどこいってしまったんでしょうか。新曲は悪くはないんですが。