娘。神奈川

ヤフオクもだいぶ高騰していたが、現場の盛り上がりもなかなかだ。
お店もだいぶ出ていたし、振りまねもいたし、知ってる顔が何人もいた。
正直、娘。紺はほぼ1年ぶりだったから、現場の雰囲気が何かしら変わっているのではないかと思っていたけど、大丈夫、ここはここで、変わらない雰囲気だった、お相撲さん含め。


ライブに関しては、SEXY BOYがよかった、やっぱり。
そして、レインボーピンクだ。
予想はしていた。たとえば、登場した衣装を見たとき、やはりな、と思う自分はいた。
だけども、なんだ、あの動き。人形さんみたいな(つまり「ね〜え?」風ということだ)、あるいはロボットみたいな、あるいは、もういい、こう言ってしまうが、頭おかしい、みたいな。
「ね〜え?」は十分にぶりぶりのアイドルをデフォルメしたものであったが、そのアイドル性全盛のあややをさらにデフォルメしたのがこのレインボーピンクだといっていい。
それにしても、道重と久住が、受動的にこの振り付けを受け入れているだけ、とはいっても、そのはじけっぷりは賞賛に値する。しっかりと与えられたことをこなし、なりきっている。その過度の尋常ならざる動きは、自分の心を強く揺さぶった。どういう意味でかはよくわからない。不安・衝撃・驚き・尊敬・感心、なんと言ってもいいようなもやもやを生んだ。
聖性を見出される存在というのは、常にその尋常でなさによってそう判断されるものだろうと思う。それがかわいさや美しさや無垢さであってもいいし、「尋常」から遠く離れた白痴、狂いであってもいいのだ。そして、レインボーピンクから感じるのは、かわいさと狂いの織り成す、摩訶不思議な世界だった、そう、まがまがしいピンク色の世界がそこにはあった。
卒論の終章のあとでも言及しているが、東が言うように、「着飾ったアイドルを「可愛い」と思う判断は、「美しい」より「不気味だ」という感覚に近い」。今回のレインボーピンクを見れば、このことがよく分かるのではないか?常人では理解できない、理解したくない世界、そこに没入できるかどうかで、ヲタとしての線引きができそうじゃないか。
少なくとも、会場にいたヲタたちは、そうしたピンク色の世界が好きなようだ。アルバムにしたがって、ぼくらは嬉々として「こはっぴんく」コールをした。僕は、うだうだそんな物思いにふけりながらも、安心してピンク色の世界に没入することができた。これは喜ばしいことだ。評論家然として、楽しむ材料を必死で探さなきゃならなかった最近の自分からして、これは喜ぶべきことだ。大げさじゃなく、こう言っていい。レインボーピンク1曲観るために、1万円払うのは、高くない。それだけの価値がある。(まだいろいろ言いたいこともあるし。)