メインステージを振り返ってみると、前半の劇は完全に「ガチ」。
後半は真面目にやりつつも割と「ネタ」っぽかった。
しかし、ヲタの様子を見てみると、たとえば吉澤の「おまえたちのせいなんだ!」に対しても、「これMの人にとってはたまらないだろうな」とか、「すいません!」とか冗談で言っている者もいたわけで、それに対し、「そこくらい真面目に受け取ろうよ」と思う自分と、「いかにもヲタらしいよな」と思う自分がいた。要するに、自分の中にもガチ(ベタ)な自分とネタ的な自分が混在する、というわけだ。
去年も感じたことだが、結局ヲタに対する訴求力なんてたかが知れているのであって、前のほうにいた一般の親子連れがどう感じてくれたか、が問題にはなるんだろう。まだ娘。がこんなに一般の客を呼べて、多くの子供が環境問題を考えて帰っていくということは素直に考えて、良いことだ。今日、こんなに客が来ることには、本当に驚いたんだ。…素直に喜ぼうと思う。一般に人気が出ればいい、とは思わないけれど、娘。がいまだにこういう場では客を呼べることを理由なく喜ばしく思う。
一方で、ヲタがたくさん集まることは――知っている顔も数多く見かけたが――ヲタ同士の馴れ合い、という意味あいが強くなっていることは否めないだろう。トレーディング祭もその流れの一つの表れだ。そこだけでなく、文化祭会場内のあらゆるスペースでヲタ同士がだべって、取り立ててすることもなく「まったり」している様は、いかにも今らしい、と思った。アニヲタのほうのコミケだとか、ジャンプフェスタ(一回行ったことがあるのだ)みたいなイベントで、ヲタがだべっているのと変わらないよなあ。そこにアイドルの存在感はあるのかなあ。劇で娘。が我々に迫ったその「ガチ」を、ヲタのほうで受容する空気は、もはやないような気がするんだなあ。それは、残念なことではある。とはいえ、最近社会人として「ガチ」な世界に嫌気が差している身としては、ヲタのネタ的精神というのも大いに理解できるし、それなくしては自分のアイデンティティは危うい。だから、まあこういう傾向も仕方がないか。アイドルを好きという「ガチ」さえ失わなければ、いいか。