銀座の松屋で盆栽を見る 〜盆栽とアイドル〜

第680回デザインギャラリー1953企画展 「BONSAI」
http://www.matsuya.com/m_ginza/exhib_gal/details/20111228_bonsai.html
ふらりと入った松屋の盆栽展が面白かった。丁寧に丁寧に慈しみの心を持って手入れをして、しかし一方で人の望むような成長を促し、結果美しいものができる。


さて、盆栽とアイドル。
どちらも生き物を相手にしている。少しずつ育てる。その育てる過程を楽しんだりもする。少し手を抜いてしまうと、すぐにダメになってしまうこともあるかもしれない。時間を経て、美しいものができる。
育てる側の欲望によって、望む方向に成長が促される場合も多かろう。枝を長い年月をかけて下の方向へ曲げていくように、アイドルも彼女たちの意志と無関係に、たとえばロリの方向へ曲げられたり。しかしあまりにも急に曲げようとすると、ポキリと枝(心)が折れてしまったりもするかもしれない。
傍から見たら、そこまで執着することに理解がされないような対象に情熱を降り注ぐこと。そして執着するごとに、人には見えない世界が見えるかもしれない。「雨竹亭」のパンフレットにこうある。
「心静かにじっと対峙して下さい。彼等の“声”や表情が見えてきます。慈しみの心が盆栽を観賞される時の一番大切なことです。やさしく接してあげて下さい。」
アイドルはいまや接触イベで実際に声を聞くことができるようになった。一方で我々は、手の届かないアイドルのライブでの一挙手一投足から、アイドルの体調や気持ちなどを推し量ってもきたはずだ。時にそれは妄想と揶揄される場合もあろう。しかし、それを想像力と前向きに捉える余地も、もちろんある。
盆栽に用いる水石に関して、前述のパンフレットにはこうある。
「ひとつの石塊が、人の心の有り様によって森羅万象様々な姿となって眼前に映ります。(中略)豊かな見立て心を持って観賞してみて下さい。」
見立て心が、小さな盆栽を広大な宇宙に変える。何のとりえも無い凡才でもアイドルとしてキラキラ輝いて見えたりもする。…中学生を団地妻と見立てたって、もちろんいいのである。


このくらいのこじつけで、年初としてはいいでしょうかね…。