空間ゼリーvol.12 今がいつかになる前に

10月31日(日)、シアターグリーンにて。
告知のビラを見ると、工藤・宮本・竹内の三少女のアップ。この三人をメインにした少女の青春劇か、と思って舞台に臨むも、大きく裏切られる。
舞台セットは学校の教室。十数個の机、黒板、教卓、先生の机、ランドセル、生徒のロッカー、窓……懐かしい風景。舞台はある私立小学校、土曜の公開授業を終えた夕方。
冒頭、宮本を中心とする少女4人が、飼育小屋のうさぎを、ひもにつけたニンジンに食いつかせて、二階の高さから吊り下げるというイタズラをする。担任の教師は厳しく叱ろうとするが、公開授業で保護者がまだ校内に残っていることを心配する教頭は、「教師はニュースソースになりやすい」のだから事を荒立てないように注意する。
この段階で、少女の純真さやら青春劇的なものは全く期待できなくなった。それどころか、この後これをエッグの面々の出る舞台でやらせるかというドロドロした展開に。
教頭の嫁は学校の理事長を務めている。しかしその理事長は小学校の学年主任の先生と不倫をしている(実は、教頭はその不倫にはじめから気づいていた。)
また、学年会議は紛糾する。うまくクラスをまとめられないと悩む各担当。占いのようなことをやってクラスのための仕事を促す担当、あるいはいいことをした生徒にポイントを付与する担当。…そんなこと、よくないと言うカウンセラー。大いにもめる。よくないと分かっていても、それでまとめるしかない。そうするしか術がない、能力不足を嘆く担当。
舞台後半、教頭は学年主任に「不倫のことを知っている」と告げる。それを知っていて、自分がよく見張っていられる学年主任に配置したことを告げる。やめたくなければ不倫関係を終わらせろと迫る。学年主任は理事長にそのことを告げ、でも自分はあきらめたくないと言う。しかし理事長は、未練もないようにもう終わりだとさびしく告げる。理事長が去った後、動揺し沈みこむ学年主任。
一方、少女達の担任教師は、生徒の管理に自信がなくなり、辞表を書いている。「ほめてもだめ、おこってもだめ」。どうすればいいのかと悩む担任。そこに他の教師がやってくる。「教師は24時間仕事」だという教師。教師はいつでも逃げられるが、「子供たちは教室から逃げられない」。今日怒りすぎてしまった生徒がいたら、明日自分がやめてしまったら、その生徒にとって自分はずっと怖い先生でい続けることになる。そう思いながら、一方でやめたいとも思いながら、教師をしている。そんなものだと言う。
また少女達は、罰として課された飼育小屋掃除を終え、教室に帰ってくる。その4人の中にも複雑な力関係が働いている。一見すると宮本をリーダーとした3人が1人(土方)をいじめているというように見える。しかし宮本の手下のようにも思える竹内・高木も場合によっては工藤とグループを作ろうかと画策している。
最後の見せ場、正義感の強い工藤と、宮本、そして土方が対峙するシーン。工藤は宮本に対し、土方をいじめるな、と詰め寄る。しかし、土方は、「私いじめられてない。私を特別にしないで。」と抗議する。工藤が「いじめ」ということによって、土方自身が「いじめられていることになってしまう」。それへの抗議。そう言えばこれと同じように、教師の間でも一見いびり/いびられの関係にあるような二人の教師がいるのだが、彼らは実は仲がよいのではないかと思える描かれ方をする。そして工藤対宮本。宮本は工藤に、「正しいことって正しいことばかりじゃないんだよ。」と悲痛に言い放つ。
舞台の最後、宮本は土方の家にアップルパイを食べに行かなきゃ、と言う。それが一つの救いか、しかし、そんなものは一時のことでまた友人同士の不毛なグループ抗争みたいなものは続くだろう。また、少女達は「先生またね」「またあした」と担任に向けて言う。しかし、担任はこれで吹っ切れるわけではないだろう。一日一日をなんとかこなしていくしかないだろうと思う。舞台を見ていて、全く救われない感覚の方が強くなる。
学校という閉鎖空間の特殊性。とはいえその特殊な空間を、人間誰もが経験している。その空間でずっと過ごしてきた理事長は、「息が詰まる」と言う。外部と遮断された、同じ者同士の関係性が長く続く場。子供たちは逃げられない。教師もまた、基本的には逃げられない。子供たちはグループ抗争を続け、教師は子供の管理能力のなさを同僚と愚痴りあい、あるいは不倫の泥沼関係に巻き込まれる。
この舞台への批判として、いろいろな問題を取り上げながら、どれも深く掘り下げられずに消化不良として終わっているという意見があるようだ。けれども、それこそが現実の救われなさの表現として自分の心を打った。誰もが強いストレスの負荷を受けながら生きている。宮本の狂気を帯びた視線が忘れられない。