セルフ

もう先週のことですが。
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主人公がオナニー研究をするマンガです。ビッグコミックスピリッツ連載(隔号掲載)。
前回は主人公(国木田)がオナニー仲間の女性(宇多)と研究に励んでいる家に、主人公の彼女(有加)が乗り込んでくるという山場でした。
恋人である有加が国木田のオナニーを目撃するシーンが面白い。国木田は堂々としている。
国木田「浮気じゃない。オナニーだ。」
有加「え」
国木田「俺はここでオナニーの勉強をしているだけだ。安心しろ。」
宇多「はいその通りです。」


非常にバカらしいことを問題にしている気もする。「オナニーは浮気であるかどうか?」
宇多「愛する人や好きな人がいてもするし、
   隣にいてオナニーしていてもおかしくはありません。」
  「だから国木田さんの事を浮気と決めつけるのはよくないと思います。」


朔ユキ蔵は、「つゆダク」でも「ハクバノ王子サマ」でも、恋とか愛とか性とかの微妙な問題を扱うマンガを描いている。恋愛と性は不可分な関係にあるとは思うけれど、でも全然イコールじゃない。ぼくはその複雑な絡み合い方に興味がある。



ところで、マンガの技法として感心したのは、雑誌におけるこのマンガの最後のコマの表現だ。それは国木田と恋人が車で去っていく様子を窓から寂しげに見送る宇多の姿を描いているコマだ。窓から外を見る宇多は、開いた窓の左下部に描かれていて、右側には白い空間の広がりがあるのだが、そこに、前ページに描かれた国木田の姿が透けて見えるようになっているのだ。この残像のような国木田の姿は、あたかも宇多の左肩を抱くかのように見える。それは宇多の心に残った国木田のぬくもりを表しているようで、圧巻だった。偶然なのかもしれないけれど、こういった表現もありなんだな、とマンガ表現の可能性を感じた次第です。