愛のむきだし

237分の長編映画。平日昼にもかかわらず渋谷の映画館ユーロスペースは盛況だった。
自らの罪をごまかすために、息子にひたすら罪の告白をさせる神父。息子は懺悔をするために、罪を作りつづけていく中で、盗撮のカリスマになる。その後は、なんだかもういろいろ。
ストーリーうんぬんというよりも、タイトルどおり、人間の欲望がいろいろな面でむきだしになる様をただ見続ければよい映画である気がした。
前半部分では、盗撮の師範の言葉、「心から勃起しろ」がやたらと印象に残る。
後半では、精神障害者(?)となってしまった主人公ユウが、自分のパンツが床の鏡に反射してパンチラのように見えたことがきっかけで自分の記憶と精神を取り戻すシーンが面白かった。そうした変態性というものが、自分の核となるところを形成しているという人間観は好きだ。
ともかくどの登場人物も破天荒で、計画性がなくて、好き勝手やっていて、ひどいことになっていく。ユウの父は奔放な女性の破壊的な誘惑に抗えずに崩壊していくし、ユウの恋したヨーコも、ユウの父と愛人とともに新興宗教の女によって「洗脳」されてしまう。しかしやはり一番こわいのは新興宗教の女だ。彼女はユウに興味を抱き、ユウの家族を乗っ取り、ユウまでも新興宗教に取り込もうとし、最後は目の前でユウが狂うのを見て、歓喜のあまり割腹自殺をしてしまう。おそろしい愛の形。
そうした全てのむきだしを見た終盤において、白痴のようになったユウと、いまさらのようにユウの愛に気づいたヨーコが手を握るシーンこそ、最も「純愛」と言っていいのではないか、と一瞬思ってしまう。だけれども、この映画で描きたい純愛は、なんかしらないけれど突っ走るという衝動のことであって、あまりにも濃密で嫌悪感をもよおす人間世界にこそ焦点を合わせている映画である。
エンドロール。ゆらゆら帝国が「俺は空洞」と歌っている。空洞にはなにかを埋めなくてはならない。そうした狂おしい感情が恋愛やら宗教やらを巡って起こされるとすると、恋愛やら宗教やらはやっかいなやつだなあと思う。それが面白いんだけれども。