ヒトラー問題

テレ東の深夜番組「よろセン!」で偉人としてヒトラーが取り上げられたことに関する批判があるとかないとか。日刊サイゾーでも記事になっています。
…大したことじゃないなあ。
アイドルを知識・常識がないという点で批判することの愚かさは今さらいうまでもない。そんな当たり前のことを指摘することによって辛うじて優越感に浸って生きている人間のことはほっておけばよいと思う。
制作スタッフへの批判もある。まあそれは理解できる。無難に作ろうと思えば、いくらでも出来たはずだ。


ここで、視点の取り方によって歴史の記述の仕方が圧倒的に変わってしまう(例えばヒトラーを偉いと記述できる可能性がある)、という相対的な歴史観を論じることも可能性としてはできようが、しかしそれは深夜のアイドル番組に関してなされるべきではないように思う。
アイドルということに関して重要と思われることは、歴史(実際にあったとされる事実)という権威ある物語よりも、アイドルが織り成す物語の方が、物語としての強度を持っていて、あくまで歴史の物語はネタとして取り扱われる、ということだ。
ヲタは、なっきぃが紹介する偉人の物語よりも、なっきぃがするモノマネや、℃-uteメンバーのおしゃべりが織り成す物語に酔うのであって、その偉人の紹介が適切かどうかということに注目しない。なぜかといえば、ヲタにとっては℃-uteが偉人で、℃-uteが権威だからだ。
もちろんそこに対して、相対化すべきでないことまで相対化するな、という批判はもっともだ。アイドルヲタはアイドル現象に強いリアリティを感じ、それを中心に自己の規範を形成していく。その際、社会の一般的な規範や認識を逸脱することがある。その点への批判は甘んじて受けるべきではあろう。
ただもう一度確認しておくと、「よろセン!」で明らかになることは、やはり多くのヲタにとっては歴史なんてものはどうでもいいもので、その代わりにアイドル世界の物語が大げさに言えばアイデンティティとして機能しているという事実だ。
ところで、逆に批判をする側のことを考えてみた時に、彼らは彼らで歴史をネタ化しているだけなのではないかという疑問もある。詳しくはブログが炎上するメカニズムなんかを本で学んだ方がいいのだろうが、批判する側とて、歴史に関してそれ相応の見識をもっている人間がしているというよりも、これは批判すべきことだという感覚だけは持ち合わせている人間が、自分の立ち位置の正当性への疑いを持たずに、ここぞとばかりに他者批判に繰り出している、という印象がある。
ヲタはヲタで、℃-uteだから応援する、ということだし、批判者は批判者で、「いけないことだからいけない」と批判しているように見える。つまり、コミュニケーションに内実がない、というか、空虚な感じを受ける。それが少し恐ろしい。じゃあ内実のあるコミュニケーションとはなんなのか、そんな区別があるのかどうかもまた、怪しい。
みんなただ、何かを材料に盛り上がりたいだけなのではないか。しかしそれは、ぼくには淋しい人間観に思われる。