2.宗教 〜「情・理」を巡る方便〜

コミュニケーションに関しての考え事の2回目です。


人が納得するとか、信じるということを考える時に、信じるということが中心的な問題となることが自明な、宗教という現象を考えることは重要であると思われる。(ここでは諸宗教の現象のある部分のみを切り取って論じていますので多少議論が乱暴であることをご了承ください。)
新宗教の信者獲得の過程をおおまかに捉えた時、多くの宗教が超能力であったり、奇跡体験であったり、といったことを売りにせざるを得ない。これはある程度先鋭化しなければ他と差異化が図れない、ということだ。アイドル世界がアイドルを支持しない人たちから気持ち悪く見られるのも、また、マイナーなアイドルほどグロテスクに見られがちなのも、強度を持たなければ一定の支持を集めることができないからだ。
現在ほぼ既成宗教化しているといっていいような天理教あたりも、はじめは奇跡体験の物語を売りにしていたし、当然キリスト教ですらそうだ。それが、信者を集め、社会の中で集団として認知され、受容されていく過程で、次第に先鋭化のベクトルが弱まり、世俗化していく。一定層に、いわばマニア受けしていたものが、より広い層に受け入れられる時に先鋭化されていたベクトルを弱め、大衆受けする方向へと転化する。この過程はどの共同体でも、また様々な現象においても見られることだ(例えば深夜番組がゴ−ルデンに進出した時の番組の作り方の変化を考えてもよい)。
これを「情」と「理」という側面から捉えなおすなら、「情」で訴えて通じるのは一時的、また一定層のみで、より広く長く支持されたければ、より普遍的な「理」による方法論で攻める必要があるということだ。
ただし、逆の言い方をすれば、「情」は「理」に先行する。布教のことをもう一度考えるならば、新しく信者になる人間にとって、入信するにあたって一番影響力を持つものは、多くの場合自分が親しくする知人であったりする。知人や恋人や家族の紹介。それは、その人物に対する信頼が、そのまま宗教に対する信仰へつながるという過程。①私はAを信頼している、②AはB教を信仰している、③よって私はB教を信仰する、という一見三段論法めいた心理作用。
「情」の特徴として、強度は高いが、安定感に欠く、ということが挙げられると思う。知人の紹介で入信した信者は、そのままではまだ不安定な、中途半端な信仰を手にしたままだ。それを強固にするためには、「理」で信仰を安定させる必要がある。多くの宗教は書籍によって教えを説く。また勉強会や講演会、説法によって、理屈で信仰を構成していこうとする。そうして新しく入信した信者も、「知人が紹介したから」、または「奇跡的な体験をしたから」ではなく、「正しい教えだから私は信じるのだ」という強い信仰へと移行する。
ここで重要だと思われることは、多くの宗教が、「超能力」を信仰にいたるための方便に過ぎない、とすることだ。本来的には誰もが正しい教えに気づくべきなのだが、信仰に目覚めていない者達は、たとえば超能力といった表層的なものに惹かれてしまう。また目先の利益を追い求めてしまう。であるならば、それが本意ではないけれども、まずは正しい真理の道へ至るまでのとりあえずの方便として、超能力を信仰のきっかけにしてもらおう、というわけだ。だが、もちろん「超能力」だとか目先の利益を求める心は、正しい教えからすれば慎むべきことで、おおっぴらにしてはいけないものであるから、信仰に目覚めたら、正しい教えの通りに生きなさい、という形で。
もう一度整理すれば、少なからぬ宗教が、超能力等によって目先の欲望や、「貧・病・争」の問題を解決することを「方便」として信仰を獲得した後に、教理を学ぶことによって「本当の」信仰をできるようになる、というようなことを念頭に置いているように思われる。
しかし、そうした諸宗教を俯瞰する立ち位置から眺めた時、ひとつひとつの宗教の教理は相対化され、それぞれがそれぞれの形で正しい、という相対的正しさを現すようになる。僕はそれによって各宗教を悪いとかインチキだとか言う気はさらさらない。そうではなくて、そういった視点を持ったときに、むしろその教理の方こそ、信仰を安定化させるための「方便(便宜的手段)」ではないかと思えてくるのだ。むしろ超能力とか、人を介して、といった「情」的コミュニケーションにこそ、信仰の核があるのではないか、と思われてくる。その、信仰へと切り替わる回心の体験を美化し、保存しようとするためにこそ、教理があるのではないか、そんな風にも思われてくる。
宗教だけでなくて、例えば恋に落ちる瞬間とか、アイドルを好きになってしまう瞬間とか、そうした「情」を揺るがす一回性の体験を「信じる」という言葉で括るなら、それに対して言語で語っていくことは、あくまで装飾品に過ぎないのではないか。
「信じる」は体験的な出来事。その一回性の体験をどう保存するか、その記憶をどうとどめていくか。「信じる」ということをそう考えた時、やはり、恋愛の話に突っ込んでいかなければならない気がする。
つづく。


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