没入の過程

名古屋のこと。
いつもいつもそうなのだが、ライブなんて何が楽しいんだろうという感覚を少なからず保ったまま会場に着く。
で、昼は3階席で見ているわけだから、だいぶ遠く、推しがどこにいるかもすぐは分からない中で、全体を俯瞰する感じで見る。でもって、よく知らない曲なんかは腕組みしちゃったりしながら見る。
ところが、なっきぃの「香水」を経て、Buono!、そして「まっさら」までいった時に、客観は微塵も消え去って、つまり「客として観る」視点が消失して、完全に没入する、場に自己が溶ける、そんな感覚になる。
その感覚がむしろ待たれているからこそ、逆に始まってすぐはあえて冷めた視線で見る、という風もある。冷めて見ててもいずれ抗えない形で没入させられる。その受動、被拘束感が快感だ。


夜の1階4列ではさらにそれが違う形で現れる。
距離が近い分、冷めた視線ということはなく、はじめから「なっきぃ」ボードを名札のように掲げてなっきぃの視線を求める。飛んで、叫んで、踊って、歌って、自己を撒き散らす。
でも、なっきぃなっきぃなので、次第に僕は自分のことがどうでもよくなってきて、なっきぃが幸せなら僕も幸せ、みたいなベタな世界に没入することになる。一緒にただ同じ踊りをすることが幸せだと思う。ライブ終盤に僕が思うのは、「僕を見て!」よりも、「なっきぃありがとう」なのだ。いやもちろん、見てほしいけど。


むしろ初めから没入しようとは思わない。大きな力に作用されて、没入していく、自分が消える過程が好きだ。
客観と主観、自己愛と他者愛がからまり存する対アイドル関係をこのように体感できるライブ空間ってすばらしい。