℃-ute新曲イベ・名古屋3回目

仕事が3時過ぎに終わる。
そこから、名古屋に向かう。会場に6時45分着。できるかどうか分からないミッションを達成する楽しみは確かにある。なっきぃが好きだから行く、こんなにまでして行くから好きっていう相乗効果。これはすごく大事なこと。
名古屋港湾会館、キャパ800程度の小規模ホール。満員ではない。8列目で見る。
特にいつもと異なるなにかを語る必要がない。あったかくてたまらないのだ。鉄板のキューティーガールズからもう、「我々の」空間になる。その、我々がステージを包み、℃-uteの醸す空気が我々を包むというもちつもたれつだわ。
キューティーカラーゲームのコーナー、リズムに合わせて言われた色の物を答えていくゲーム。「オレンジと言ったら」で「みかん」「みかん」と連発していくなっきぃが愛しい。「未完」であることの価値。それは僕にとってのなっきぃの魅力なのだが。
決勝で惜しくもなっきぃはかんにゃに敗れる。かんにゃは会場のいろいろなものを指差して「これの色!」とだいぶ無理のある答え方をする。なんとしても勝って自分の持ち歌を歌いたいという気持ちの勝利か。それにしても、まいまいの奔放さは、どうしてもあいぼんの昔を思わせる。自分にスポットライトが当たっていない時の振る舞い。
最高級のエンジョイガールはいつの間にか大好きな曲になっていた。その後「YES!しあわせ」という高まる展開。「都会っ子純情」で後ろのヲタ、曲途中のMIXがうるさい。
さて、握手会がタッチ会みたいに流されてしまいました。まあ仕事で疲労困憊の状態だったこともあるけれど、なっきぃに伝えることだけ伝えればいいや、という感じで。僕はなっきぃと6回くらい握手していると思うが、「なっきぃ」と呼びかけたことがなかった。ウィンクしてもらったり、困った顔してもらったり、「頑張れ!」と言ってもらったりしたのだが、今日は、ただもう「なっきぃ、だいすきです。」というどうしようもなく凡庸な言葉を、全く偽りない気持ちで言ってみた。
それにしても、握手会が、ヲタにとってではなく、℃-uteにとって速過ぎるのではないか、という感覚を持ってしまう。梅田や矢島まではヲタもなにかしら話せるのだけれど、よほど熟達したヲタでない限り、すべてのメンバーと十分に会話をするのは不可能だ。で、そうした不十分さは℃-uteにとっても同じで、毎回かんにゃがかわいそうだと思うのだが、ほとんどコミュニケーションが取れていないんじゃないかと思う。十分に個々のヲタを認識し、コミュニケーションを取る時間がない、というのはもしかしたらむしろゆっくりした握手会よりストレスになるんではないか、という感覚。不十分なコミュニケーション、返そうと思っているときにはすでに次の人と握手をしているという連鎖の中で、満足に応対できない欲求不満がたまることがあるのではないか。そうした負荷がメンバーにかかっていないか心配になった。そんな中で、メンバーが個々の応対をあきらめ、無難な、単純化した機械的な反応―「ありがとうございます」―を選択せざるを得ないようになること、というのは寂しいと思うのだ。そんなこと、メンバーの本意でもないだろう。だけれども、今日握手会で感じたのは、やっぱり高速の握手会というのは残念な妥協点なのだということ。これを直せとかってのも無理だと思うし、握手会はあってほしいし、どうしようもないかな。
それに比べれば、むしろライブ中の方がなっきぃとコミュニケーションを取れているような気がする。さあこれは妄想かどうか。ライブ中の方がメンバーそれぞれが自分を応援するヲタを探してくれる分、1対1関係を作りやすいのだ。逆に握手会のほうが「1対多」みたいになってくるという皮肉を今日は感じたのだった。スケブを掲げると、なんかね、見てくれているんですよ。僕はこういう確信をあまり持たない方なのだが、なんか最近そういう確信を持ってしまう。なっきぃが僕を見ているんです。その確信が中心となって僕は生きている。