幼稚園児に要チェンジ。

ドアップでBerryz工房の「ジンギスカン」のPVがあがってますね。
http://www.dohhhup.com/movie/Y6DIjga0dxe6SxtxhKAvRyEXDz2ym014/view.php
界隈では大絶賛な雰囲気ですが、僕も大好きですこういうの。
実際は順番が逆なんだろうけど、やっぱり「恋のダンスサイト」を連想してしまう、そんな心躍る曲調に合わせて、というかあんまり合ってないのだけれど、思い思いに幼児が回る。なんとほほえましい。小さくて幼いものはかわいいのだ。
このPVにおいては、大人であるところのヲタと、幼児との類似と差異が明示される。
明らかにこのPVでは幼児はヲタの比喩――あまりにあからさまで比喩と言わなくてもいいくらい――である。その欲望への忠実さと、世界が自分に従属すべきものであるかのように振る舞う点において、幼児とヲタの類似は現れる(少し言いすぎか)。ともかく幼児もヲタも回る。自分中心に世界が回っているかのように世界を認識しつつ、自分も回る。世界の回り方と自分のマワリの速度が同じなら、ちょうど地球の周りを回る月のように、ヲタから見る世界は常に自分の立ち位置から見える一側面としてだけの世界と言うことになろう。そんなわけで、我々はなんとも狭い了見に閉じている。…っていうヲタに対するアイロニーとしてのPVという味わい方がひとつ。
しかしさらに悲劇的なのは、それでも幼児はまだかわいいのだ、ということで、大人であるヲタがここで回っていたら、とても汚らしくてPVとして成立しないという事実である。結局ヲタは放送禁止対象なので、うまく幼児というオブラートに包みましたということなのだろう。そうすればおいしく鑑賞できます。それにしても、なぜ幼児が嬉々として乱舞してもいいのに、大人はそうしたことを暗黙のうちに否定されているのだろう。
ところで、このPVにおけるベリのメンバーはいつにもましてロックな雰囲気を醸している。ロックが閉塞した規範への反抗、悪い意味での「大人」への異議申し立てであるなら、このPVは「ヲタは幼児である、それで上等じゃないか」、というロック精神の表明ということになる。「いつまでも大人になりきれない俺たち」への賛歌としてのPVという味わい方。
ヲタのありかたも一長一短だなと。それを幼児とのアナロジーを用いることで見事に顕在化しつつ、心地よく目に映る作品として仕上げたということ。うーむ、いい仕事している。


つーかまあ、Berryz工房のみなさんがいやにかわいく見えるのも魅力なのですよこのPV。曲調に引っ張られているんだろうけど、昔の娘。を思い出してしまうのです。千奈美が一瞬矢口に見えました。