アイドル惑星

昨日のメロン記念日のライブ中にアイドルってなんだっけってまたいつものようにふわふわ考えていた。
僕が結局Perfumeを好きになりきれないのは、宇多丸氏が言うようにアイドル最後の希望とかいう語られ方がされていながら、結局擁護する言説がアイドルではない要素を扱っている、というちぐはぐさにあるように思える。僕はそうした典型例としてオカルト雑誌「月刊ムー」に載っている広告を思い浮かべてしまうのだ。例えば「幸福のペンダント」みたいな商品があったとして、それの権威付けのために結局は科学に依拠してしまう。どっかの聞いたこともない大学の大先生が科学的根拠に基づいて商品の効能を説明してくれるのだが、その説明が途中から科学を超越した世界からのものにずれ込んでいくことによってペンダントの権威付けを無理やりに行う。
これというのはアイドル語り一般における難問としてあるように思う。アイドルそのものを語れないから、その周辺領域を語ることによって近似値としてアイドルを語ろうとする。しかし「Quick Japan」を読んでいても、そこら辺の問題としっかり対峙しているような語りはないような気がする。だったらPerfumeは歌手だと言い切ればいいのに、アイドルだアイドルだって言う人もいて、ただ言いたいだけちゃうんか、という文句もつけたくなる。
以前書いたけれども、アイドル概念は恒星である。直視できない。それを観測するにはサングラスをかけないと。サングラスはメディアだ。メディアを介さないとアイドルを捕捉出来ない。ちなみに個々のアイドルは惑星である。恒星の周りを付かず離れずの距離を取って回っている。あまり近くを回ると早々に消滅してしまう。惑星の構成要素はいろいろある。個々の惑星は時と場合によって様々に構成要素を変えながら恒星の周りを回る。
そんなことをメロ紺の知らない曲の間に考えていたのを図にしてみたのが以下である。自分でも見方がよく分からない。



今年中に分かるようにしようと思う。