キュートサンタの贈り物

なんでよりによって「チャンピオン」なのかよく分からないけれど、ともかく載ってりゃなんだっていいので買ってきた。
少年誌の表紙を飾る℃-ute。僕はやっぱり昔の娘。の雰囲気をそこに見てしまう。℃-uteにおいてのアクセントは岡井だ。岡井少年だと思う。
例えば制コレだとか、水着グラビアだとか、少年誌を飾るグラビアアイドルと呼ばれる人々と比べたときの℃-uteってのは、決してキュートじゃないと思うのだ。…ここで言いたいのは、あくまでグラビアとしてキュートではないということである(これでも十分に語弊があるのだが)。
僕が℃-uteの中でかわいいとか美しいとか思う(この二つは全く違うものだが)のは、なっきぃとまいみだけであって、他のメンバーをそうは思わない。でも僕は℃-uteというグループが好きなのだ。好きでしょうがない。
ヤンジャン制コレにおいては、グランプリを選ぶべくどれもこれも胸が大きくてかわいくて…という点で均質な横並びの少女を見たときの解釈可能性の少なさを僕は感じてしまう。(これはあくまで僕の能力的な問題ではあろう。グラビアアイドルのきわめて詳細な評論を書かれるサイトはもちろん多く存在するわけであるから。)
℃-uteはそれに比べ、少なくとも均質ではない。それがハローらしさではある。(例えばちまたで噂の西念さんあたりも確かにハローというものの遺伝子を多少変異させつつもしっかり受け継いでいる気はする。)
℃-uteがグラビアとして数ページ割かれる時、そこにはやはり℃-uteとしての物語が展開することになる。当然のことである。グラビアアイドルが、よく分からないけどおそらくは1対1の性的関係性への志向を誘うことを大方目的とされているのに対し、℃-uteの場合、℃-uteという物語を見守る、ないし参与するというベクトルを一次的には喚起するように思われる。もちろんそこから二次的に誰かにロックオンしちゃってもいいわけだが。ともかく、グループであるから当然ではあろうが、各メンバーがただ独立して写るのではなく、クリスマスパーティーを楽しむ、という体でグラビアは展開する。
ここで注目すべきは、℃-uteが三つに分割されるということ。まずはまいまいと岡井が遊ぶ「Happy playing」、なっきぃ・かんな・愛理がツリーの飾り付けをする「Happy decorating」、そして梅田と舞美がケーキを作る「Happy cooking」。℃-uteを以前僕は「縦ライン」として論じたけれども、その縦の関係がここに如実に表れている。まいまいと岡井には、どうしたって辻加護のイメージを引きずってしまう。別にこれは悪いことではないだろうと思う。この二人は、遊んでりゃいいや。岡井と愛理が同学年だといったって、愛理・かんな・なっきぃはひとまとまりにしたくなる。℃-uteをうまく飾っていく3人。そして、℃-uteにしっかりと味付けしてくれる梅田と舞美。(僕はどうしても愛理は薄味な気がしてしまうのだ。…それにしても、太ももを露出するやじうめは確かにGAMっぽいですな。)こうして3段に階層を分けられると考えるとき、℃-uteを厚みのある物語として構築することが容易になる。岡井―まいまいの横ライン、まいまい―舞美の縦ラインに象徴される多様な物語の源。グラビアはその後、一堂に会してくつろぐ℃-uteを写して終わりかに思える。
ところが、いや表紙がサンタ姿なんだからところがもなにもないが、最後のページで℃-uteはみんなサンタ姿になってしまうのだ。(舞美なんか脇の下を惜しげもなく晒してしまうのだ。これではキュートサンタではなくセクシーサンタである。)それまで、その中に入っていけそうな、楽しげなパーティが繰り広げられていたのに、彼女達は突然サンタになってしまうのだ。7ページ前では[サンタさんはいる?・いない?]って質問に「信じてます!」って答えていた℃-uteが、その信じている対象になってしまう。
たぶん作り手は意図してないだろうけれども、これはアイドルの両義性を見事に表してくれている。一緒に遊べそうな、同一化できそうな対象でありながら、手の届かない、現実感のない超越的な存在でもあること。こちらから参与できるという能動性を喚起していそうな一方で、向こうから届けられる愛を受け取るしかない(例えばチョコだったりするのかもしれない)という事実も突きつけているアイドル。
サンタはいるかいないか。舞美はお兄ちゃんに「サンタはお父さんとお母さんなんだよ!」と言われて「サンタはいるもん!」って怒ったようだが、サンタはお父さんとお母さんだということと、サンタはいないということはもちろん同義ではない。サンタはお父さんとお母さんとして「いる」のだ。サンタが神のようなものとして「いる」、と信じることは子供にとって幸せなことである、たぶん。でもだからと言って、お父さんとお母さんがサンタだという事実は子供にとって残酷だろうか?そうではあるまいと思う。超越的存在としてのサンタが子供に夢を与えるように、親であるサンタは子供に愛を与えている。…別にこんなことを言いたいんじゃない。
確かに℃-uteはサンタなのである。アイドルが神であろうが、人間であろうが、僕らに比類ない贈り物をしてくれていることは間違いないのだ。
彼女達を神だと思うとき、僕は夢心地になる。彼女達を人間だと思うとき、僕は愛について考える。
そういうアイドルを、僕は信じる。