対アイドル関係

深い思考を経たわけでもなく、今さらながらとも思えることだが、対アイドルの関係性は、「対アイドル関係」としか言いようがないのではないか、と言ってみる。
「擬似恋愛」とか、「妹」とか、「家族」とか、何かになぞらえる必要があるか。他の人間関係とのアナロジーで対アイドル関係を語るのはどうなのかと思う。それというのはつまり、対アイドル関係というのが、何か満たされない他の人間関係の代替物でしかないことを示してしまうのではないか。
だけども、例えば矢口真里に対しては僕は恋愛に近かったのだ、と言いたい。どうしても、そうやって既存のコミュニケーション形態との類似によって語りたい部分もある。重要なことは、対アイドル関係が、単に「他の不足を代わりに満たすもの」にとどまらないのだということを常に認識しておくことだ。
なっきぃのことを考えるとき、なっきぃは「恋愛対象」でもなければ「妹」でもなければ「教え子」でもない。何かに還元できるのかできないのか、確かに語りえぬものについては沈黙しなければならないが、語れるか語れないかギリギリのところまではなんとか近づきたい。それってまあ恒星にどれだけ近づけるかってなもんです。近づきすぎると身を滅ぼすことも分かってはいるけれど。


あれ、でも、その「対アイドル関係」って、今「萌え」とか言われちゃってるんだっけか。先を越された。じゃあ「萌え」って語の使用はアイドルを代替不可能のものとして措定するためのヲタの戦略的振る舞いなのか、それが自覚的かどうかはおくとして。新しい愛に対しては新たな名を付ける必要があったわけだ。