映画「キサラギ」

見てきました。多少のネタバレをすると思うので、これから見る人は読まないほうが無難ですが、ただ、とにかく、アイドルヲタしてるんだったら絶対に見るべき映画だ。


売れないグラビアアイドル如月ミキが自殺して1年、彼女のファンサイトの常連である5人の男が追悼会に集まる。家元(小栗旬)、オダ・ユージ(ユースケ・サンタマリア)、スネーク(小出恵介)ら5人は、思い出話で大いに盛り上がるはずだったが、「彼女は殺された」という言葉を引き金に、事態は思わぬ展開を見せ始め……。 http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail/tydt/id327204/


まずは2月という月と「ミキ」という名で、否応なく僕は加護と藤本を思い浮かべてしまう。一般の人よりは感情移入の度合いを強めてしまう。映画の終盤までアイドルの顔は我々観客にはわからず、ぼやけたままでストーリーは進む。生写真を手袋をして扱ったり、「ヌードは見たくない」とか、「遅れてきた清純派」とか、「彼氏ぐらいいて当然だ」とか、気になる言葉がポンポン出てくる。
後半は、アイドルヲタとは?という問いに関わるセリフが多い。
「B級アイドルのままで終わってよかったのか」という問いに対し、「それでよかった」「死なれるよりましだ」という答え。
また、「僕達も同罪かもしれません…ファンがいなかったら、すんなり引退できてたかもしれません」という問い。
「頑張ってください」、というのはファンの希望の押し付けなのではないか、と小栗は問う(僕は見るにあたって小栗であるということは不問にしましたよ)。
さて、オチをネタバレしてしまいますが、如月ミキの死因について探るうちに、結局は、如月ミキは「命よりもファンのことを大切に思って死んだのだ」という仮説にたどり着く。「正真正銘の」アイドルだったんだ、ということで彼ら5人のヲタ(ほんとは小栗以外は純粋なヲタではない)は感動する。(もちろん、ここではアイドルを生かすも殺すもファン次第、という、ただ単純に感動できない部分はある。)
アイドルに関して彼らは言う。「とらえどころがない」、「虚像」と。ここで僕の問題意識ともかぶってくるのだが、彼らはそのアイドルと自らをかぶせていく。「ここにいる5人だって同じようなもんですよ」「本当なんて分からんよ」「人間はみんな未知である」。僕はここに共感できる。
「真相」にたどり着いた5人は、小栗のとったビデオを見て盛り上がる。(ここにおいて初めて「如月ミキ」の顔が明らかになる。)…ハッピーエンド、にはならない。アイドルの実像⇔虚像、現実⇔虚構を描くなら、ここでもうひとつひっくり返しておく必要があるだろう、と僕は見ながら思っていたが、やはり。映画の最後に、ビデオに映っていたアイドルイベで司会をしていた男が、2年後の追悼会に顔を出し、「バカバカしい…」と、彼らの仮説を一蹴するのだ。このシーンを入れる必要性が絶対にある。そうしなければ、単にヲタがアイドルの世界に安住して終わりである。そうではなくて、アイドル、のみならず、人間、人生というものの決定不可能性。そこまで抉り出してくれたから、この映画は単なるアイドルヲタの映画でもないし、単なるサスペンスでもない映画になっているのだ。逆に言うならば、伝えたい主題が先にあって、それを伝えるためにベストなモチーフが「ファン―アイドル」の関係だったからこういう映画になったのではないか、と思えるくらいだ。