クローズアップ現代「膨張する”もう一つの世界”」

セカンドライフを趣味にしている、負け組を自称する人がヲタにしか見えなかった。いや実際に構造は一緒で、「虚構世界」に耽溺するという点においてまさにヲタ。端から見れば、セカンドライフ内においてフットサルをやるやら、終わった後の一杯やら、何をやってるんだバカらしい、という図である。
一方で、虚構空間内で不動産ディベロッパーをして生計を立てる者もいる。大企業は現実のためのマーケティングの効果を期待しながら続々参入しているようだが、このセカンドライフの自立性・自律性も見逃せない。現実との相対的な関係においてセカンドライフが価値を持つというよりは、もはやセカンドライフが「現実」と化す、という状況。その世界の中では、顔も容姿も性別も自由。そんな身体性から解放されて、すべてが記号と化した世界は幸せだろうか。アイドルこそ、そんな世界内で記号として存在すべきなのか、なんていうことも考えてしまう。僕がセカンドライフに抱く違和感が、ただの時代に取り残されたもののジェラシーでしかないという時期がもうすぐくるのだろうか。あるいはまた、その違和感は一般人がヲタに対して感じている気味の悪さと同等のものかも知れず、僕は自分の首を締めることになるのかもしれない。
映画「マトリックス」の世界がかなり近い未来に実現しそうで、僕はやはりそれに対して、こわい。