自分の席

ひとりで渋谷という街を感じる。


渋谷のマンガ喫茶のオープンスペースでインターネット。
なんだか机が揺れるのだ。
揺れているのは、となりの男が揺らしているからだ。
となりの男が体を前後している。
よく見ると腰を前後に動かしている。
まさかと思ってディスプレイを覗き込んだら、裸の女が股を広げてた。
…うーむ。


『性欲とは!?種族の存続を目的とする欲望である!
公共的、社会的、発展的、性格を有しておるわけです。
と、こう考えれば、地球社会のありかたもあやしむにたりませんな!』(藤子・F・不二雄「気楽に殺ろうよ」)


僕はなんだかあきれるでもない複雑な気分だった。
なぜだか知らないが、自分までそいつと同類かのような羞恥の感覚。そしてそいつを責めるではなくむしろこの世というか渋谷という街に対する嫌悪。しかしそれはひいては自分への嫌悪のような気もした。


そのあとひとりカラオケに行ってから、安価な100円均一の回転寿司に入る。
外国人の店員に場所を案内され、狭い席に座らされる。
しばらくしたら、となりに3人連れが来て、もともと狭いのをさらに詰めさせられる。
まさにすし詰めである。
店員と客は他愛もない掛け合いを楽しんでいたが、僕はそこでも孤独を享受するふり。
会計時、レジの店員は問い合わせの電話を受けながら、僕の勘定を受け取った。
失礼極まりない対応だが、僕自身が人間の対応なんか望んじゃいないのだからと、腹も立たず。


マン喫もカラオケも回転寿司も、居ていい場所なんだけど、居場所じゃねえよなあ。
となりじゃ何してるか分かったもんじゃないし、自分だって大して身動きできもしないし。
居心地はいいんだけれども、どこにでも置いてあるおしぼりが不衛生さを象徴している。
時々嫌になるのは、大都市に飼われているような気がしてしまうからだ。
ひとりひとりが一応のスペースを与えられる。家畜小屋みたいに。
うーん、森岡正博の「無痛文明論」ってどんなだったかなあ。