二元論を超えるべく

4月になったらゆっくり考えようと思いますが、先週のコメントに対してちょっとずつ返答を。


>チャーさん『斧屋さんの「現実⇔虚構」図式が必要。一番適格に「スパイラル」を説明することができます。』
「現実」と「虚構」。もちろんこれらをカッコ抜きで語ることはできず、我々が言語を使って生きる存在である以上、「現実」もまた「虚構」のひとつである、というのは当然の話になります。が、それでも方便としての「現実」という言葉は必要なのだと考えます。
斎藤環の言葉を引用します。『「その体験が媒介されたものである」という意識――「事実」ではなく――によって、はじめて「虚構」は成立する。(中略)逆に言えば「日常的現実」とは「媒介されない意識」のもとで成立する体験に過ぎない。そして、この「媒介される-媒介されない」という意識の差異は、まさに想像的なものでしかないのだ。』(戦闘美少女の精神分析
これがとても大事だと思っています。すべてを相対化できるように見えて、やっぱり「日常的現実」ってのは「虚構」ではないなにかしらの特権があるような気がする。想像的なものでしかないけれども、想像的なものとして、「日常的現実」はある。「現実」って言葉は使いたい。


>やきそばさん 『宗教観における東洋と西洋の違いにも、確かに繋がってくるように思います。』
卒論で僕が書いたのは、ヲタに二つの類型があるということです。ひとつはアイドル(神)と近づきたいと思うタイプ。もうひとつが自分がアイドル(神)になってしまおうというタイプです。僕は西洋と東洋の宗教観の違いを意識していましたが、それを語るだけの知識がなかったために断念しています。ただここでも重要なことは、あくまでそれは両極端であって、実際にはその二つがそれぞれのヲタの中で混在しているということです。

>痛井ッ亭さん『DDとマジヲタを二項対立として捉えるのはどうでしょうか。』
『「DDでかつマジヲタ」ということは十分成立すると思います。』
「DD」の対義語としては「単推し」というものがあります。「マジヲタ」に対しては「ネタ」にして楽しむヲタということになるのでしょうが、卒論を書いた当時に関しては、比較的この二つを混ぜて使っても問題ないようなところがありましたし、やはり用語としての面白さとして使った部分もあり、まあ悪く言えば厳密さを欠いた言い方だったとも思います。そこらへんで今一番問題だと思うのは、「マジヲタ」≠「単推し」だということです。たとえばグループを推していたり、ハロー全体を俯瞰していたり(俯瞰していても必ずしも「DD」ではないでしょう)。さらに「マジヲタ」という言葉が引き起こす問題としては「マジ」という部分が、「マジ」に受け取る、という、「媒介されていない意識」のヲタという解釈でいくか、「マジメ」に受け取る、という解釈でいくか(これもまたある意味「媒介されていない」ということと関連があるのですが)によって意味合いがまた違うということ。「マジヲタ」、なかなか使いづらい言葉です。


>痛井ッ亭さん『マジヲタはアイドルとの距離ゼロを志向する存在ですね。その反対概念たるDDは距離無限を志向するか、と言えば違う気がします。距離無限を実現するのは実は簡単で「非ヲタ」(=一般人)になってしまえばいいだけではないでしょうか。』
微妙な問題ですが、ヲタという世界を「小宇宙」だと例えてみたい気分です。宇宙の中で例えば太陽からできるだけ離れようとしても、宇宙の外には出られない。宇宙の外が「一般人」の世界です。「太陽からできるだけ離れよう」という意識がある限り、ヲタという「宇宙」からは出られない。その「宇宙」の中でできるだけアイドルから離れようとする運動が「DD」的であるといっていいんではないでしょうか。いずれにしても、距離ゼロも、距離無限も達成ははじめから不可能だと分かっているんです。でもヲタはそれに向かうんです。ん、これって「萌え」って概念とつながっていかねーかなー。これは適当な思い付き。


>チャーさん『思うに、可能性として、本格的なメディア論に発展できると思うんですよね。モーヲタの中だけの話にとどめるのはもったいない。』
これは自分でも思ってるんです。アイドルというメディアを分析することで、現代人の生き方だとか、倫理にまで持っていけるようなイメージ。さらには、自己と他者、自己と世界の関係性っていうでっかい問題に、ヲタとアイドルの関係を鍵にしてアプローチできるんじゃないかっていう壮大な夢物語。…学生に戻りたいんですが。


「現実」⇔「虚構」だとか、「ネタ」⇔「ベタ」だとかいう二元論を最終的には超えていくための螺旋を描くこと。もちろんそれも「想像的なもの」にとどまるのかもしれないけれど、そうした螺旋を描くべくあがくことがまずは倫理の第一歩だろうか。アイドルに対する倫理、結局それって倫理一般のことでもあるんだろう。
「どんな愛なら 理想的なの 何か哲学書にでも書いてるの?」