笑顔YESヌード

まずはこのタイトルである。
漢字―英語―カタカナというつながりの悪さが、とてもよいのである。
言葉で「ひっかける」、というのはつんくの得意技である。そのひっかかりがこうして日記に書かしめる違和感である。
結局のところヲタはその語呂の悪さだったり、「ヌード」という単語に懸念を抱きながらも、必死で意味を紡ごうとする。「笑顔YESヌード」ってなんなんだと必死で考える。僕にとっての嗣永の顔のように、足りないパーツはこっちで埋めようとする。
そんな、ヲタを巻き込む「つんく味」は健在です。歌詞中にまた「ロミオとジュリエット」なんか出してきちゃって、「萌え曲」寄りであると思わせておいて、「笑顔YESヌード」というタイトルが導くような相対化の視線を僕らに起こすことを忘れはしません。そんな「なんかへん」さはとても心地よいのです。
ラジオの音源を聞いたが、そこここで「えがおいぇすぬーどぉ、えがおいぇすぬーどぉ」言われるとなんか意味のあるかっこいいフレーズに聞こえてしまいそうな危険さに震える。「笑顔」「YES」につられて「ヌード」も無害化された「かわいい言葉」の仲間入りが出来そうじゃないか?
いずれにしても僕が「つんく味」って言いたいのは、大げさに言えば全ての境界が解体されていくような陶酔感である。 かっこいい×かっこわるい、かわいい×きもい、エロい×エロくない、ひいては現実×虚構とまで行きたいわけだが。だってこれ、ベタに「かっこいい」と言いきれますか?つんくの下手な、もちろん見ようによっては絶妙な韻の踏み方は、手放しで褒められたもんではないです。手放しじゃなくて、手の込んだ形で褒めに行くべきところです。例えば「お茶してみたり おしゃれなベーカリー」とか、なんか僕は稚拙な感じがして逆にいいと思うのだ。これがミスチルの「しるし」だったりすると、「カレンダーに」と「ダーリンダーリン」の重なり方とか、「カッコよすぎて」、かえって手出しできない「距離」と言うか、それへの執着、愛着を起こさせない「冷淡な完成」とでも言うべきものを感じてしまう。それと対極にある「未完成の親しみやすさ」ってのがまさにアイドルのひとつの魅力であるはずだ。
ということで、「笑顔YESヌード」というジグソーパズルを埋める作業を始めたわけだが、ここだけはベタに語らなきゃ、ってところがまず1点あるんだよなあ。
「愛してやまないそのひとみ」
ここを吉澤が歌うことの意味。