ヲーター芸徒事件

最近ヲタ芸がよくテレビで取り上げられるじゃないか。
新堂本兄弟に引き続き「Gの嵐」。
いかにもテレビ的な作りに辟易したけれども、こういうものがテレビとして取り上げられるようになったのも、オタクというものがある程度一般化してしまったせいなんだろうと思った。
いまやグラビアアイドルもそろいもそろってメイド服を着ている。
「萌え」の語も、もはやなぜくさかんむりの漢字なのか分からない者も多いんだろう。
『はじめおかしがっていた嵐のメンバーもヲタ芸をやってしまう』とか、『もめていた二つのグループが、アイドルが出てきた途端争いをやめてアイドルに夢中になる』とか、『クラブでヲタ芸をやって引かれる』とか、『最終的にはクラブのやつらもヲタ芸をしちゃう』とか、そんなベタベタな企画でも、オタクの賞味期限はまだ切れていないらしく、テレビ的には成り立っている。そんな感じで、ただ素直に楽しめる番組ではない。
ヒップホップを愛する若者と、ヲタ芸を愛でるオタク。その差は単なる趣味の違いであると言っていいはずなのだが、当たり前のようにテレビはヒップホップを勝者にする。ヲタがテレビで出るとすればそういう形しかないのだから、それはそれでいいのだが、最終的にお互いが認め合った形で、みんなでヲタ芸をする、そこにこそ決定的にヲタを蹂躙する意志が感じられる。なんだかわけの分からないものに病名をつけて安心する医学のように、外部のものを無害化して内部へ取りこむ行為。ヲタのアイデンティティ(そんなものがあるとするなら)、テレビに出演した時点でそのロックな魂は見る影もなくなっている。
それはともかく、何をするものでも、それを始めたものが偉大であるのは間違いない。昨日ヲタのヲタ芸をひさびさに見たとき、その創造性はやはりすごいものだと思った。OADやロマンスを今の形にまで高めた名もない(とりあえず本名で評価されることはないであろう)人々は偉大だ。何をするでも、単に模倣者ではありたくない。創造者でありたいと思う。