道徳女子短大エコ研

Gyaoで見てみる。
演出なのかどうなのかよく分からないんだが、演技がなんだがうそくさいというか下手なのか。
それはともかく、このドラマ、ハローのアイデンティティだよ!と思ってしまうのだ。
「恋→エコ」の飛躍。これがすごい。これは、「LOVEマシーン」以降の、「恋→愛」だとか「恋→倫理」の歌詞構造と全く同じだ。例えば「浪漫〜MY DEAR BOY〜」の歌詞を見てみれば分かる。


『「初恋」「あなたが弱っても私が守るわ」から、普通の恋愛の歌かと思いきや、後半、「地球が微熱らしい 正義を掲げなきゃ」「全ては真実にある 浪漫を描くのよ」「空という無限のキャンパスがある」と一気に歌詞が飛躍する。(中略)二番も見てみよう。前半部分の極めて個人的な歌詞「泣かない女の子」「私は待てるわ」から、「未来にタスキ渡す 正義に迷いはない」へ。いかに飛躍があるか一目瞭然であろう。この曲では英語の歌詞によってその飛躍を覆い隠している印象がある。それによって我々の耳には不自然さなく聞こえるのかもしれない。』
「「熱っちい地球を冷ますんだっ。」はどうであったか」http://www.geocities.jp/moaning_moron/gettou.htmlより


恋や友情の話の中で、不自然な形で挿入されてくるセミの話、温暖化の話。もちろん、エコ研究会なのだからそういう話題は出てきていいんだろうという言い訳はできるんだろうけど、でも、セミ
そして、同じ父を持つ2人、恋人を取られた高橋愛と、土岐田麗子の絡みがまたよく分からない。
結局恋人を巡る争いも起こらず、温暖化とセミの話で二人は丸く収まるという、なんともリアリティのない展開になるのだ。でも、これこそこのドラマの狙いか?
恋に、外部の視点(全体性)を持ち込むことでみんながハッピーに、というのは「LOVEマシーン」でまさに表現されたことだ。
恋で人々をひきつけておいて、さりげなく話を全体性に移していく。そういう飛躍によってしか、現代の倫理はありえないんじゃないか、というのが5年前に僕がhttp://www.geocities.jp/moaning_moron/ranai.htmlで主張したことだけれども、この「エコ研」はまさにそういう手順を踏んで無理矢理にエコのドラマを作り上げた感じだ。それは僕にとっては僕の主張を裏付けてくれるという意味でとても感慨深いのだ。だけれど、なぜにこんなわざとらしい設定のドラマをわざわざ作るのだろう。ハローのアイデンティティだと僕が言いたい「倫理思想」の持ち主が、事務所の裏で糸を引いているとしか思えないんだよなあ。
いずれにしても、ドラマを見た時に自らに起こった違和感、これはデザートです、ヲタとしての自分のデザートです。