アイドルとは表現である。

アイドルとは表現である。
この言い方は多分にDD的だ。

だけど、アイドルはそのものとして現れることが出来ない、というのは事実であろうと思う。
常にアイドルはそのものとして見ることが出来ない。そう、人間をアイドルと呼ぶのではないのだ。
アイドルの表現として歌があったり、水着姿があったり、めがねがあったり、するけれども、これがアイドルであるということは示せない。稲増龍夫が言うように、アイドルとは総合芸術であり、ある人間を取り巻く現象の総体として捉えられるべきものだ。
卒論でアイドルの定義が曖昧になってしまったのも、それが何をするもの、というコアなところを具体的に示せないからだ。だから、アイドルとはと言われたら、その現れからその見えない概念をなんとか見ようとしてみるしかない。それは太陽が直視できないのと似ている。
アイドルであるという人間自体は、アイドルという超越的概念を中心として、そこからつかず離れずの位置を保つのだ。存在としてのアイドルは、概念としてのアイドルの衛星であると言えるかもしれない。つーか、言いたいだけや。

で、僕は辻と呼ばれている人間は「辻」という「アイドル」の表現としてある、と思っている。
そのことを確かめに、わざわざ富山まで行く。
それが、今の自分にとって最大の救いというわけだなあ。