ハロパ群馬・夜だけ参戦

昨年太田に行ったときも思ったのだけど、地方の都市の経済的な困窮の様を目の当たりにすると、複雑な気分になる。前橋駅から不必要に広い歩道を県民会館まで、結構長いこと歩いたが、食い物屋がなかなか見つからない。かつて食い物屋であった建物はあるのだけれど、駅で見て以来コンビニもない。その代わりに、すぐにでもつぶれそうな予感のする小さな雑貨屋だとか洋品店が所々並んでいる。県民会館近くになってようやくセブンイレブンを発見し、食料を確保できたけれども、街全体に活気がない、閑散とした感じは、薄ら寒くなるようなイヤな感覚だ。実際には車の通りは激しくて、閑散という表現はおかしいのだが、自分の住む首都圏との厳然たる差によってそう感じてしまうのだ。
夜公演にはまだ間があったので、隣の公園で食事をとる。ありきたりの表現だが、時間の進み方が違うよなあ、と体感する。日曜はこんな風にのどかに過ごした方がよい。人間はバランスをとらなきゃいけない。
今回のハロプロパーティ〜は、主催「上毛新聞社」「コープサービス」。なんだか新聞を新規にとったらチケットがついてきそうな雰囲気だ。協賛「農協観光」。なんだか、哀しくなる。ツアー全体でコープサービスが絡んでいるが、業界に詳しくない僕はこれがどういうことなのか分からない。松浦紺もなち紺も娘。紺もオデッセー・サンデーフォーク・キョードーといういつもの顔ぶれなのに。何を意味するのかはさっぱり分からないけれど、少なくともこの事実にいい気持ちはしないのだ。若干、ハロパが他に比べ田舎を廻らされている気がするが、気のせいか。
さて、そんな風に地方経済について思いをはせると、どうしても地方にお金を落としてもらうためのツアー誘致ということを考えてしまう。結局、金のある大都市圏から人を呼ぶしか、地方の経済はどうにもならんのか。経済うんぬんを語る能力は欠片もないのであまり知ったような口はきかないことにするが、一つ思い出したのは、昔サンドーム福井か小松ドームのイベント予定を見たときに、エホバの証人の集会が入っていたこと。地方が宗教団体を誘致する話は結構あるが、宗教だとかアイドルだとか、信仰がもたらす経済効果というのはバカにならない。
堅苦しい話はこれくらいにして、公演の話だ。疑問なのは、なんで地方の方が意外にも持ち物チェックが厳しいのだろう。スプレーとペットボトルの持込が禁止だ。昔サンドーム福井でペットボトルをなんとか持ち込んだ思い出が蘇る。
2階席の客が少ない。地方の公演って多分採算はとれないんだろうなあ。なんかそれ以外の政治的な事情があったりするんだろうが、それ以上勘ぐっても自分にとって面白いことはない。自分は5列で見る。
久しく良席で見てないもんだから、レスのもらい方がさっぱり分からなくなっている自分。とりあえずツアーTを買って気分を出してみた。
美勇伝つんく味が出ていて非常によい。ごっちんも声がいい。
でもやはり辻に一点集中で見てしまう。おかげで手を上げるタイミングが適当になる。辻って、歌ってないときの表情とか身振りとかがかわいい。なんというのか、常に見る価値がある。常に見られる対象としてのあり方をしている。言い方をかえれば、「裏がない」と思える。常に表なんだ。前に辻をシールって言ったのも、そういうことだ。なんだか表に現れているものが全てだと思いたくなるのだ、辻は。
今日見るかぎり、辻はどちらかといえば、いなかった。昨年気になった腹筋はもう気にならなかった。それより、ライブ後半で腹をつまんだ辻が印象に強く残る。ぷにぷにした腹は肉感じゃあない、虚構感を強く表す。
いつも楽しそうな辻。ほんとはつらいこともあるんだろうとか、想像をさせない辻。それこそが真のアイドルだと言っていい。本当は表だけで成立させちゃいたいのだ、アイドルは。裏をも合わせて、全て合わせてアイドル現象である、それは事実だ。だけど、表が全てだと思わせる存在がいるなら、そりゃあ今の時代に稀有な、神聖なアイドルだと言いたくもなる。
虚実入り乱れるこの時代に、実存的な悩みの内に生きる人格的な存在とは真逆の存在として辻がいる。実在ではない、虚構としての辻。「実⇔虚」(じつ⇔つじ)ってことです。その虚構に希望(のぞみ)を感じて生きてもいいじゃないですか、あまりの現実感に押しつぶされそうなこの社会で生きてるんだったら。
帰りはヲタバスに乗って帰りました。安くて楽で快適です。こういう、身近で自分達のために働く人には素直に感謝できるのになあ。梨華ちゃんのMCでの呼びかけに応じて、母の日になにかしようという行動力というか、一般常識的振る舞いのできない自分というのに、幻滅とあきらめの感情も起こった。


ところで、富山への最良のルートは?