大腸のことが気になりはじめたら

というCMがある。
現代的だなあと想うのだ。
当然だが、これは大腸のことが気になりはじめた人へのCMじゃない。
「大腸のことを気にしている人間」がそんなにたくさんいるはずがない。
「大腸のことが」と言われて、気になりはじめてしまう人へのCMだ。
思いっきりテレビ見て、一喜一憂するような人と言ってもいい。
「大腸のことが気になりはじめたら」と言って、「大腸のことを気になりはじめさせる」CM。
いやなんだなあ、そういうの。


最近は、広告はある欲望に対して応えるものではない。
新たに欲望を喚起するためにある。
新たな欲望と言ってもいいが、新たな心配と言ってもいい。
心配事を増やして、いろんなもの買わせて、物で生活を満たす。
そして、そんな人たちに、物では心は満たせないとばかりに、今度はありとあらゆるサービスが提供される。
うーん。
じゃあ、主体的に生きよう、とか言いたいけど言えない。
どこに主体性なんかあるのかね、というのに対して答え出すほど考えちゃいないなあ。
とりあえず、しょうがない、人と違ったことしてみよう、と考えていくしかない。
だから、僕は観光地とか流行とか、嫌いだという選択をするのだ。それも姑息なんだけど。