レビューのレポいまさら

いつまで経っても書けないので、このあたりで適当に書いちゃう。
友情と魔法のトランプ〜スター楽屋裏物語』レポです。


内容いちいち書けないので、ポイントだけ。
・里田とあやかの腹筋が気になった。
・ヲタのためのネタにあふれていた。
例えば、「写真集は鑑賞用、保存用、それから…」というようなヲタク的事情が存分に分かったような脚本、あるいは、あさみに「犬ぞり」と話させるなど、観客がヲタであると割り切った公演でしたな。
・なっちはアイドルだと思った。
本来は後藤・安倍のツートップで話が進むはずだったが(昔これを「マキアベリズム」と呼んでいた頃が懐かしいよ)、後藤の病気で柴田との共演。残念ながら、安倍の方がやっぱり強いね。輝きがなんか違うんだなあ。騙されてもいい笑顔だよ、なっち。
・ダンディをヲタは暖かく見守った。
どういう事情でダンディが出ていたのか知らんが、ヲタは暖かく見守ったよ。上から下への視線かもしれないけど、暖かかったよ。
ミニモニ。の曲がうまく使われてた。
このステージのためかと思えるほど、「ビタミン不足」と「すききらい」はうまくフィットしてたなあ。ところで、
・ヲタへの啓蒙?
「すききらい」のところでは、(もうだいぶ記憶が薄れたが)すきとかきらいとかいってねえで仕事だからやれ、こらあ!みたいな、要はヲタに対して社会でちゃんと働け的な説教じみた演出だった気がする。こういう過剰なメッセージって好き。去年の文化祭でも言ったが。
・舞台のメタ性
ミュージカルやレビューにおいていつもそうなのだが、舞台上で何かの役柄を演じているアイドルが、基本的にはその役を演じているものとして観られているけれども、ライブの段になるとアイドルとして見られるという二重構造は面白い。さらに言えばアイドルという仮面の裏側を覗こうとするヲタの視線があることも見逃せない。常に裏側へまわろうとするメタ的なあり方がはっきりみえるのがこうした舞台だ。
さらに事態を複雑にしているのは、ヲタの間で共有された内輪ネタが脚本に組み込まれることで、「役柄」と「アイドル」の境界は曖昧になっていること。そして、「アイドル」と「素の女の子」の境界すらもなくなっている現代のアイドルであるから、三者がごちゃまぜになって消費されているわけだ。
もっと書きたいことあるなあ、ミュージカル関係は。ともかく、はじめから歌うことが前提になっているということが、なんか舞台を独特なものにするんだよな、ハローのミュージカルって。