文化祭の季節

文化祭にはやはり行こう。
去年のミュージカル及び文化祭に関しては
[http://www.geocities.jp/moaning_moron/gettou.htmlここで書いた。
結構いろいろ考えさせられるのだ。というよりは、勝手なこといろいろ考えるのだ。


それより今回気になるのは、「第一回トレーディング秋祭り」だよな。
ついにか、という気持ちだ。
私はグッズにおけるトレーディングものの増加は、ヲタの「DD化」を促進する結果となったのではないかと考えている(卒論第三章後半 「現場」の連帯志向の強まり
http://www.geocities.jp/moaning_moron/soturon5.htmlにおいても言及)。
簡単に言えば、トレーディングものの増加 → 交換の必要性 → 交換の場の発生 = ヲタの現場共同体の発生(ヲタのアイデンティティが「アイドル世界」から「ヲタ共同体」に転換する)ということであり、
同時に、トレーディンググッズにおいて、それぞれのメンバーの交換価値というものが否応なく現れ、現場においてそうしたグッズが他のグッズと交換可能な通貨として機能することによって、それぞれのメンバーの「かけがえのなさ」が保持しえなくなるという事態の発生。
つまり、石川の価値が高くて新垣は価値が低い、とか、加護と辻がほぼ等価であるとか、そうした経済的で相対的な価値観が認識されてしまった時点で、ヲタとしてメンバーを推す絶対的な信仰心は崩壊するのだ。メンバーは商品として意識され、その生身性だとか人格だとかいったところは問題ではなくなってくる。
こうした形で「DD化」を進める形で2002〜3年あたりから現場での交換・売買を目的とした「お店」が発生することになったわけだが、そうした現象はこれまで事務所側と熱いバトルを繰り広げることになった。場所にもよるが、スタッフが何度も店の解散を命じるところを見た。それがついに「公認」となったわけだ。トレーディンググッズと言っておきながらトレーディングをさせないという理不尽な態度を取ってきた事務所がついに折れた形だ。
これにはちょっと驚いた。面白いことだと思う。


だけど、私はトレーディンググッズ自体には興味がない。
そう、前確認したようにやはり自分はマジヲタなのだ。
ののたんは実在するし、その生身性がやはり問題なのだ。
まあたとえば、腹筋とかな。