美勇伝紺

紺の途中、あるいは終わった後、自分が感想をよくまとめられないようなライブだった。
ただ、退屈している時間は多かった、おそらく。
最近、ライブに行ってよく思う。自分が何をしていればよいのかわからない。
2001〜02年、ただ矢口を見ていればそれでよかった。踊れる曲は踊った。合いの手も入れた。
2003年、矢口を見ていればよかった。歌ったり、ヲタ芸も打つようになった。
2004年、やぐやののを見る。ヲタ芸を打つ。そして、ヲタを見る。
2005年、ヲタ芸を打つ…踊る…?


美勇伝紺、いまいち自分のすることがない、と思えてしまった。
確かに、美勇伝の持ち歌では打てる。
しかし、シャンパンの恋とかストロベリーパイとか先輩 〜LOVE AGAIN〜とか、一体何をせよというのか。昔だったら力なく腕を振ってるところなんだが、もはや自分は腕を組んで考え込んでしまう(決してタイガーではない)。
ただ、決してつまらないセットリストでもない。
べべ恋とか、ガールズパワーとか、うれしい曲もあり、美勇伝のソロコーナーも悪いとは思えん。
どちらかというと、今回退屈してしまったのは、自分のコンディションによるところが大きい。
夕方フットサルして疲れちゃったから。
とはいえ、今までだったら楽しめていたはずのコンサートがつまらなく感じられるというのはヲタとしては致命的な気がする。
なにしろ、美学さえも踊れなくなっている自分がそこにいた。社会人としての身体が出来上がりつつあるのか。まったくもってこれは大変なことだ。
美勇伝紺、ヲタの評判はいいんだろう。オクでもかなり値上がりしていたしな。
結局質的にどうこうというより、ヲタが自分で楽しめるかどうかが一番のポイントなわけで、私が楽しめないのは私のせいなのだ。だがしかし、それでいいのだろうか、ヲタは。
それはとても諦観に溢れた楽しみ方じゃあないのか。
結局演じ手はどうでもいい、ということになっているんじゃないのか。
ここんとこのヲタの動向でそこが一番気になるわけだが、楽しんでしまえばそれでいい、というのであれば、楽しむ対象がアイドルであらねばならない理由はどこにもない。そうであるなら、アイドルの死滅は近いのではないか、というのが私の危惧なのだが、じゃあそれを食い止めるのは何か、という話をしたくなるわけだ。それはなんだ。……岡パイじゃねえのんかい。