凹んだ日

社会はこう言う。
本当の喜びというのは、つらさを乗り越え、責任を果たした時にようやく手に入れられるものだ。
その喜びは、刹那的に得られる快楽とは全く質を異にする。それが本当の幸せというものだ。
だから、刹那的な快楽を求め、不快を徹底的に排除する内輪空間にこもった人間は未成熟な人間であって、そういう人間の象徴的存在であるオタクはダメなんだ。ダメダメなんだ。


しかし、オタクがそういう意味で「逃げて」いるのだとしたら、仕事に全精力を傾けて生きている人間も同様に「実存的な問い」から逃げているのではないのか。さしあたってすることが山積している、忙しい忙しいと、問うことから逃げる。
そういうことが少なからず言えるとするなら、なぜ苦労して責任をまっとうする社会人のほうからオタクをどうこう言えるのだろうか。
だけど、そうした責任感ある大人のおかげでオタクのようなダメ人間が生きていけるというのも事実であり、オタクの政治的な振る舞いとしては、社会から異端視された者としてちっちゃくなった振りしてる方がいいんだろう。


ただ、今日仕事で凹んだからどうしてもこう思うのだ、社会はなんでこんなにも人に責任を与えるのだろう。「自覚と責任」なんて、中学の頃から聞いたセリフだ。いまだに心になじまない。それはただ単に自分がまだ子供なんだで済ましてしまってもいいのかもしれない。
けど、これだけは思う、自分が仕事をアイデンティティとする人間になったとしても、他の価値世界をアイデンティティとする人間を貶めることで精神の安定が保てるような輩にはなりたくない。


まったく、社会ってやつは誰が駆動しているんだか。就職活動中の皆さんには注意を促したい。社会が「本当のやりがい」という宗教めいた言説を弄して待ち構えているからな。



…いや、別に仕事に文句はないのです。ただ、こんなこと言ってみたい日もある。